嵐山町web博物誌・第3巻「嵐山ジオロジア」
第2節:地形とくらし
4.菅谷台地と菅谷館跡
菅谷台地の段丘地形
武蔵嵐山駅から嵐山町ふれあい交流センター、大妻嵐山中・高校にかけては、同じくらいの高さの面が続き、比較的平らな地形面となっています。菅谷館跡から都幾川に向うと、長い下り坂になります。これらのことから、菅谷の街は全体として台地を作っていることがわかります。
菅谷台地を詳しく見ると5段の階段状であり、ここも河岸段丘(段丘地形)となっています。この階段状の地形は、数万年もの間に都幾川や市野川が削り込んでできたものです。
自然地形を利用した菅谷館
中世に造られた「菅谷館(すがややかた)」は、都幾川が削ってできた段丘地形を利用し、堀や土塁などの人工的な改変を加えたものです。
元々あった段丘地形を活かし、段違いになっている各郭(くるわ)の面がつくられています。面の最も奥に堀を作り、掘り上げた際の土で土塁を造ったと推定できます。
また、菅谷館の東西両側には谷が入り込んでおり、これを外堀として利用しています。一部は人工的に整備していますが、全体としては自然の谷を利用しています。
菅谷館は、段丘地形と段丘にできた谷をうまく利用した要塞となっています。
- 改変前後の地形断面(模式図)
- 南郭の土塁とその下の段丘礫層
南郭(菅谷4面)から川原へ降りる所に菅谷4面の段丘礫層が見られます。かつて都幾川が、この高さを流れた時に運んだ礫層です。- 段丘礫層(接近写真)
- 下半部は段丘礫層、上半部は土塁(土盛り)です。
第2節:地形とくらし