嵐山町web博物誌・第3巻「嵐山ジオロジア」
第2節:地形とくらし
COLUMN
地形・地質と鎌倉街道
鎌倉街道
鎌倉街道は、鎌倉から関東を経て信濃、越後、陸奥などの地方とを結ぶ交通路で、鎌倉時代に鎌倉幕府の御家人が「いざ鎌倉!」と馳せ参じた道です。
このうち、嵐山町を通っているものは、上道(かみつみち)と呼ばれている街道です。
地質との関連でいえば、この上道は、おおむね秩父山地(中・古生層の地域)の東側である比企丘陵や児玉丘陵地域(新第三紀層地域)を通っています。
山地と平野部の間を通る
当時、物資輸送の中心は水運であり、平野部の最上流部に船着き場ができ、町が形成されました。
ここは上流からの森林資源や多くの物資が集まる場所であり、幕府の御家人がそこを支配していました。
このような山地と平野部の境目にできた町を結ぶようにできたのが鎌倉街道の上道です。
現代の感覚では、平野部を場所を通った方が楽だと思うかもしれません。
しかし、当時の人は脚力もあり、馬で移動したので、ある程度のアップダウンは気にならなかったと思われます。
それよりも、最短で移動できるコースを選んだと考えられます。
橋も発達していなかったため、川幅の狭い丘陵地域の方がむしろ通りやすかった訳です。
第2節:地形とくらし