嵐山町web博物誌・第7巻【祭りと年中行事編】
3.平沢の百万遍|村の行事,現在の行事
平沢では夏祈祷(なつぎとう)として百万遍を行います。この行事の目的は伝染病などがはやらないための悪病よけです。数珠(じゅず)を「ナンマイダンボ」と唱えながら廻すために、行事そのものを「ナンマイダンボ」ともいいます。
百万遍は七月に不動様で行います。各家から一人ずつ不動様(不動堂)に集まり、護摩を焚き、酒を一杯飲んでから、数珠を廻します。この数珠は以前は竹縄(たかなわ)に数珠を通しましたが、その後稲藁になりました。鉦(かね)と太鼓に合わせて「ナンマイダンボ、ナンマイダンボ」と唱えながら数珠を廻します。一回り廻すと、「オイショ、オイショ」とひっぱりっこします。こうして縄が三回きれるまでくり返します。
疫病(えきびょう)
【夏越(なご)しの風景】
疫病は伝染病のことですが、これらの病気は古くは神の崇(たた)りや怨霊(おんりょう)であると考えられてきました。『古事記』『日本書紀』でも流行病について書いてあり、疫病との闘いには長い歴史があります。特に、疱瘡(そうそう)やコレラの流行については書物に書かれていて、それらの病気の社会に与える影響が多かったことがわかります。そして、全国各地では疫病を防ぐ目的の行事が、現在でも行われています。
疫病のはなし
疫病(伝染病)は、時として大流行し、多くの人々の生命を奪いました。埼玉県内の統計を見ると、天然痘は江戸時代の終わり頃オランダからもたらされた種痘(しゅとう)により明治以後の死者は激減します。コレラは明治12・19年に全国的に大流行しましたが、明治33年以降の死者は殆どありません。腸チフスは明治から昭和25年までは毎年100人以上の死者がありました。赤痢は明治29年〜33年と昭和20年代に大流行し、死者2000人以上の年もありました。
しかし、明治時代以降の西洋医学と細菌学の目ざましい発達は、予防衛生に画期的な変革をもたらし、今日では疫病による死者は殆どなくなっています。