嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
2.縄文時代晩期
低地への移住
気候の寒冷化が引き金となって、縄文文化は一気に終末期に向かいます。関東以西の人々は、川べりや湖沼のほとり、海沿いの高台などで生活するようになりました。ことに内陸部では、数家族が身を寄せあう細々とした暮しだったようです。嵐山町では縄文時代最後のこの時期、晩期の土器片は発見されますが、住居など生活の痕跡は確認されていません。ほとんど空白の期間となっています。
- 埼玉県内の縄文時代遺跡数の推移(日本考古学協会編1984より作成)
- 草創期〜中期までは増加を続け、中期でピークに達した後、後期〜晩期は急減しています。比企地域も同じ傾向にありますが、丘陵地形を反映してか増加のピークが前期〜中期にあります。
- 伊奈氏屋敷跡遺跡出土丸木舟(県立埋蔵文化財センター提供)
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低湿地から後期〜晩期の土器とともに、丸木舟3艘が出土しました。長さ4.85m、幅0.55m、材質は常緑針葉樹のカヤです。 - 蓮田市雅楽谷(うたや)遺跡出土の土器(県立埋蔵文化財センター提供)
5号土坑出土の一括資料です。
コラム5:トチのはなし
- 川口市赤山陣屋跡遺跡トチの実加工場復元図(川口市教育委員会提供)
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この図は、考古学と古環境の調査成果を基にして復元されたものです。 - 後谷(うしろや)遺跡出土の種実(桶川市歴史民俗資料館提供)
- トチ、クルミ、ヒシの種実です。
- 川口市赤山陣屋跡遺跡の木組み遺構(川口市遺跡調査会提供)
- 台地直下の低湿地から、トチの実の灰汁抜き作業を行ったと見られる後期終末〜晩期初頭のトチの実加工場跡が検出されました。これはトチを水にさらすための水槽と考えられています。
森では、クリやクルミの木は、寒さで立ち枯れるほどではありませんでしたが、つける実の量が大幅に減りました。そこでこれらに代わって、トチの実や、沼地ではヒシの実などが重要な栄養源となっていきました。トチは寒暖を選ばない木ですが、その実は舌が痺れるほど渋く、アク抜きにはとくに時間と技術を要します。それでも食べざるを得なかったのが縄文後期・晩期の食糧事情だったということもできるのです。