嵐山町web博物誌・第1巻「嵐山町の動物」
第1章:嵐山町の動物たち
第2節:嵐山町の動物相概要
4.資料が語る人と動物の関わり
昔話にはよく、様々なかたちで動物たちが登場します。こうした話の中には、言い伝えとともに資料までもが残されていることもあります。ここでは嵐山町の過去から、動物に関わる話について、おもしろいものをいくつか紹介します。
古里兵執神社 イヌワシの剥製
古里地区の兵執神社(へとりじんじゃ)には、イヌワシの古い剥製標本があります。この剥製(はくせい)について、その由来が記された神社への奉納額によると、明治の中頃のある年2羽の大きな鳥が飛来し、兵執神社の木に舞い降りたことがあったそうです。そのうち1羽が撃ち留められ剥製となって神社に奉納されたものだそうです。今からざっと100年以上も昔のことですので、細かいことは不明です。
イヌワシは本州の山岳地帯の中でも高くけわしい山地に住んでいて、絶壁の岩棚の上などに巣を作り、ノウサギやヤマドリ、ライチョウなどを捕らえて餌としています。しかし冬季にはまれに平地や海岸に姿を現すこともあります。現在では大変数が減って絶滅が心配されている鳥の一つです。
広野八宮神社に伝わるテンの話
広野地区の八宮神社には明治の末頃、神社の森にテンがすんでいて、それをとなり村の猟師が鉄砲で撃ってしまい、地元の人にたいへんしかられたという話が伝わっています。その後、1950(昭和25)年頃にもここではテンが目撃されていますので、きっとテンにとってのよいすみかだったのでしょう。
化石
1980年代後半、鎌形地区の木曽園橋(きそぞのばし)近くで工事の際に発掘されたサメの歯です。長さはなんと8センチメートル以上もあります。カルカロドン・メガロドンという、体長12メートルにも及ぶ大昔の巨大ザメのもので、この辺りがかつては海であった証拠です。
古文書
平沢地区の個人宅に伝わる1850(嘉永3)年の証文です。その内容は、平沢村に猪鹿がたくさん現れ田畑を荒らすので、駆除のために鉄砲とその玉を貸し出してほしいというものです。現在でもイノシシやシカはたまに姿を見せますが、当時はそれ以上に良く見られたのでしょう。
報道記事
町の広報誌の記事にも、動物の話題は数多く登場します。例えば1974(昭和49)年の「ビックリうなぎ」には、槻川橋の下で村田海保氏がとった全長1メートルあまり、胴回り20センチメートル、重さが2.3キログラムと超大型のウナギが紹介されています。また1959(昭和34)年の「蝿とり成績」では、越冬バエの駆除成績が掲載されています。菅谷小は150匹、鎌形小2,720匹、七郷小340匹、菅谷中354匹、七郷中230匹の合計3,904匹が捕獲され、個人でも平沢の村田富次氏が110匹捕獲したことが記されています。コメントは「成績は全体として良くない。」と辛口です。
サギ山の見られた森
嵐山町には以前、鎌形地区にサギ山があったと言われています。サギ山というのはサギ科の鳥が繁殖のために多数集まってきて巣を作った森や林のことです。この鎌形のサギ山については調査をされたことはなかったようで、記録と言えるようなものは全く見当たりませんでした。そこで何人もの地域の人々から当時の様子のお話を伺い、それを整理してまとめてみると次のようでした。
- サギ山の見られた時期は、太平洋戦争が終わってから間もない昭和20年代の早い頃からのようで、ざっと50年以上前のことのようです。そしておおよそ10年程度続いていたそうです。
- 場所は、都幾川の千騎沢橋の上流にある崖付近の上に広がっていた林の一角に住みついたのが始まりで、その後何年かたつ間に周辺の林に広がっていったということです。
- 集まっていた鳥の種類は、ゴイサギとシラサギで、シラサギには大きいものと小さいものとがいたと言うことですから、多分ゴイサギとコサギ、ダイサギがいたのでしょう。シラサギのなかにチュウサギがいたかどうかは、地域の人々のお話からは判断できないのが残念です。
コラムCOLUMN
オオカミの言い伝え
平沢地区のお不動さまには「お犬さま」の木像が2体残っています。「お犬さま」は、秩父地方ではオオカミのことを指しているのだそうですが、この像のむきだしのきばと、細長く先切れの尾は、まさにオオカミそのものです。お不動さまには「明治の初めころまでは、この辺りの裏山にもオオカミがいて、遠吠えが聞こえると怖いもんだから護摩を焚いたんだ」という話が伝わっています。また、すぐとなりの小川町下里地区では、明治30年代生まれの人たちが「昔はこの辺にもオオカミがいた」という話をよくしていたそうです。
平沢のお不動さまに伝わる「お犬さま」の像
こうした言い伝えや「お犬さま」の像の存在は、秩父山地の縁にあたる小川町や嵐山町西部にも、オオカミがすんでいたことを伝えるものなのかもしれません。