嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」
COLUMN
5.コラム:経塚と経筒
経塚
仏教教典を書写し埋納した塚。末法思想が流布する11世紀以降に盛んとなります。末法の世の到来に伴い、弥勒(みろく)出現に備える意味が込められているとされます。当初、地方でその担い手は、僧侶や領主層にほぼ限られていました。築かれる場所は、見晴らしの良い霊山や聖地が選ばれ、通常、経典は経筒に納め、さらにそれを専用の容器や甕(かめ)に入れ、和鏡(わきょう)、合子(ごうす)、刀子(とうす)などとともに丁寧に埋納しました。
- 和鏡/町指定文化財
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(嵐山町蔵)
大蔵行司免遺跡から出土しました。径は11.2cmです。本来の使用法は現在と同じです。銅製で裏面には模様が浮き立たせてあって、中央に紐を通す穴があります。関東地方では多くは平安時代以降のものです。神社の御神体をはじめ墓や経塚への埋納も多く、呪術性が高いものです。 - 経巻
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(東京国立博物館提供)
東京都八王子市白山神社から出土しました。お経を書き写した巻物。写真は広げた状態。 - 合子
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(画像提供:東京国立博物館 http://www.tnm.jp/)
神奈川県横須賀市衣笠城から出土しました。蓋と身からなる合わせ口の小さな容器。中国製で白磁又は青磁が多く、紅などを入れて使いました。墓や経塚への埋納も多く見られます。 - 刀子
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(嵐山町蔵)
杉山六丁遺跡から出土しました。長さは21.8cmの鉄製の小さな刀です。墓や経塚への埋納が多く見られます。 - 銅銭
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(嵐山町蔵)
遠山山根遺跡から出土した銅製のお金。中世に中国から大量に輸入されて使われました。墓や経塚への埋納もしばしば見られます。墓や経塚への埋納のほか埋納銭として単独で出土する場合も多くあります。 - 外容器
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(福島県須賀川市日枝神社蔵・群馬県立歴史博物館提供)
福島県米山寺(べいざんじ)の経塚から出土しました。専用の円筒形のものと甕を転用する場合があります。
経筒
経典の埋納にさいし経典などを納める容器。金属製で円筒形のものが多く見られます。筒身(とうしん)と蓋(ふた)からなり、年号、関係者、由来等が記されることもあります。
藤原守道の経筒
藤原守道(ふじわらもりみち)は、平沢寺鋳銅経筒を製作した地方鋳物師(いもじ)です。この時期、活動を追うことが出来る唯一の地方鋳物師です。活動の時期と地域に注意してマップを見ると、平沢寺の経筒を製作したあと、しばらくして、南武蔵を中心とする地域で経筒を製作していることがわかります。彼は時期によって活動する地方をかえていることになります。
はっきりとはわかりませんが、二つの地域を結ぶキーワードとして天台宗または天台系寺院を考える説もあります。歴史上の著名でない人間の足跡がわずかでも追えることは極めて稀なことです。今後の研究によって、さらに守道の足跡が明らかとなることを期待したいものです。
- 平沢寺経筒
- 1148年の銘をもち、確認できる最古の守道作品です。製作依頼者は平朝臣茲縄(秩父重綱)です。
- 伝池上本門寺経筒
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(奈良国立博物館提供)
1165年銘をもっています。銘文から實相寺の僧忠円により経筒が埋納されたことがわかります。出土地は池上本門寺五重塔下付近といわれていますが、詳細は不明です。 - 旧松蓮寺経筒1
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(奈良国立博物館蔵、画像提供:東京国立博物館 Imagege:TNM Image Archives)
1163年銘をもっています。守道の作品中では最も出来栄えがよいといえるでしょう。銘文から弁豪、尭尊以下9名の僧侶により埋納されたことがわかります。 - 旧松蓮寺経筒2
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(画像提供:東京国立博物館 http://www.tnm.jp/)
1165年銘をもっています。銘文から1163年銘の旧松蓮寺経筒に名を連ねる僧尭尊により埋納されたことがわかります。銘文に守道の名は見られませんが、作風、埋納場所と製作依頼者が一致する点から守道の作と考えられています。