嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
3.嵐山町最初の定住ムラ〈志賀・金平遺跡〉
金平遺跡
嵐山町で現在確認できるもっとも古い人間の生活の痕跡は、縄文時代早期後半、7000年前頃の金平遺跡です。
西側を丘陵の森に包まれ、北に市野川を望む小高い丘の上で、小さなムラが営まれていました。
住居跡は六軒発見されました。直径4メートル前後の円形の家で、中央には床を浅く掘り窪めた炉が作られています。6軒のうち3軒は互いに重なりあっています。家の建て替えをしたか、あるいは別の住人が同じ場所に家を構えたことを示しています。家の外には、炉穴と呼ばれる真っ赤に焼けた穴があります。中で火を焚いて、煮たり焼いたりの調理をしたと考えられている施設です。
遺跡からは、数多くの土器と石器が出土しました。数家族が集まり、何世代かにわたって暮らしていたことを物語っています。
- 金平遺跡現状写真
- 遺跡の周辺は区画整理が行われ、宅地化が進んでいます。
- 金平遺跡出土土器
- 土器の内外面に貝殻条痕文があり胎土に繊維を含みます。口縁部の微隆起線による幾何学文を特徴としています。底部は丸底35点、平底3点でした。
- 金平遺跡出土石器
- 早期の石器は100点余り出土しました。石鏃、石匙、礫器、打製石斧、磨石、石皿など多種類ですが、土掘り具と考えられる打製石斧が約半数を占めています。石材は石鏃は黒曜石、打製石斧は硬質頁岩を主に利用しています。
- 金平遺跡1・2・3号住居跡
- 3軒の住居跡と炉穴は重複して検出されました。住居跡は、1辺3〜6mの不整隅丸方形ないし楕円形で、1号と2号住居跡は地床炉を持っていました。炉穴は短径0.6m、長径1m余りの楕円形です。
- 金平遺跡の発掘調査風景
- 志賀小学校建設に先だって1978年に発掘調査が行われました。調査された面積は約3500m2です。縄文時代早期の他に、縄文中期の住居跡1軒、奈良・平安時代の住居跡7軒などがあります。