嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
2.定住生活のはじまり
新たな道具、新たな暮らし
土器と弓矢の出現
ドングリの森で暮らすために、人々は新らしい道具を生み出しました。それまでの石槍で追いかける猟は、森の中では通用しません。茂みに潜んで一発で仕留める弓矢が発明されました。木の実は高栄養で重要な食糧源となりましたが、大部分は強いアクをもっています。縄文人は知恵を絞り、これらの渋い実を粉にして水に晒したり、灰で煮るアク抜きの技術を開発したのです。縄文土器は、物を貯蔵するという用途よりも、むしろ食物を煮炊きする道具としてもっぱら使われ、発展していきました。
- 橋立岩陰遺跡出土土器(江戸東京博物館蔵)
- 岩陰の最も下位の遺物包含層から、草創期の隆起線文土器15点、爪形文土器5点が出土しました。最も古い時期の土器群です。
- 橋立岩陰遺跡出土石器(江戸東京博物館蔵)
- 隆起線文土器、爪形文土器にともなって、有舌尖頭器と石鏃が出土しました。
- 秩父市大滝 神庭(かにわ)半洞窟遺跡(県立博物館提供)
- 奥秩父山地にあり、石灰岩の露頭下部に開口する半洞窟を利用した生活の跡です。草創期の土器、有舌尖頭器、石鏃と動物の骨などが出土しました。
ムラを作る
かつて氷河期に生きた大型の動物は、乏しい餌を求めて絶えず移動し、これらを食料とする人間たちもまた、点々と移動生活をしていました。
しかし、温暖な気候とドングリの森の誕生によって、さすらいの日々には終止符が打たれました。縄文人は水場に程近く、陽当たりの良い平坦な地を選び、住居を構えて定住生活を始めました。地面に穴を掘って床を作る竪穴住居が数軒集まる小さなムラが、少しずつ、少しずつ増えていきました。
- 隆起線文土器(長野県石小屋洞穴遺跡出土、國學院大學考古学資料館蔵)
- 高さ24.8cm、約12000年前の丸底形の土器です。
- 富士見市八ケ上(はけうえ)遺跡出土石器(富士見市立資料館蔵)
- 草創期の隆起線文土器とともに、槍先形有舌尖頭器と矢先の石鏃がまとまって出土しました。この時期に狩猟具が槍から弓矢へと変化したことを示しています。
- 滑川町打越遺跡住居跡(滑川町教育委員会提供)
- 長径3.7m、短径2.7mの不整楕円形で、床面が皿状に約20cm掘りくぼめられています。炉や柱穴は見つかっていません。比企郡では最古の竪穴状の住居跡です。
- 打越遺跡住居跡出土土器(滑川町教育委員会提供)
- 草創期の土器の破片が約400点出土しました。宮林遺跡出土土器と似ています。また、土器、石器とともに多量の焼礫や黒曜石の破片も出土しました。
- 深谷市宮林遺跡4号住居跡(県立埋蔵文化財センター提供)
- 直径4.5mの不整円形で、床面が皿状に10〜30cm掘りくぼめられています。炉や柱穴は見つからず、南東部が土坑と重なっていました。
- 宮林遺跡4号住居跡出土土器(県立埋蔵文化財センター提供)
- 草創期の土器片がまとまって出土しました。土器の厚さが5mm前後と薄く、真上から見ると四角い形なのが特徴です。