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嵐山町web博物誌・第1巻「嵐山町の動物」

第5章:人家周辺の主な動物たち

第3節:桑園、クリ畑の動物たち

2.嵐山町と養蚕

桑園の写真一面に広がる桑園。ひとむかし前までは町内のいたるところで見られた桑園も、現在ではかなり減ってしまいました。

 カイコガはもともと野生種であったものを、人間が大昔より飼いならし、品種改良を重ねて生まれた昆虫です。まゆからとれる絹は衣類をはじめさまざまなものに利用されます。カイコは「おこさま」と呼ばれ大切に扱われ、養蚕の時期は家の中全体を使って飼育するため、人は家のすみのほうで寝ていたと言います。
 ひと昔前までは、町内のいたるところで養蚕の風景が見られました。まゆの生産量が多く通称「1トン農家」と呼ばれる家もたくさんあり、昭和の中頃までは全国的にも最も養蚕が盛んな地域でした。現在ではわずか数軒が養蚕を行なっているにすぎません。そのためカイコは以前のように身近な昆虫ではなくなりました。

昔のまゆの出荷風景の写真 昭和期のまゆの出荷風景。当時の活気が伝わってきます。

埼玉県における桑園面積の移り変わり

面積の移り変わりの折れ線グラフ
1900(明治33)年頃には約21,000ヘクタールだった県内の桑園面積も、その後増加の一途をたどり、1930(昭和5)年には40,200へクタールで歴史上、桑園面積の最も多い年となりました。現在の県内水稲作付面積よりやや多い面積です。それから70年経過した2000(平成12)年の桑園面積は460ヘクタールで、秩父郡市の水稲栽培面積とほぼ同じぐらいに減ってしまいました。

収繭量と養蚕戸数の変化

埼玉県内でのまゆの収穫量「収繭量」の最も多い年は1939年(昭和14)の23,570トン、それから61年後の2000年(平成12)には99.8トンに減少して、最盛期の0.4パーセントとなりました。日本国内での養蚕業の規模は、埼玉県と同様の傾向で推移しました。
(資料提供:埼玉県農林総合研究センター及び大塚基氏氏)

嵐山町の養蚕農家戸数の移り変わり

戸数の移り変わりの折れ線グラフ
(数値は、示された年を含めた前5年間の平均値によりあらわしています)

 
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