ページの先頭

嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」

木曽義仲

平安時代の終わり、貴族社会から武家社会への変革期に活躍した武将・木曽義仲は、嵐山町鎌形あるいは大蔵に生まれたといわれています。

1.義仲の生地 嵐山町

平家追討を果たし、栄光の朝日将軍から悲劇の武将へ。義仲ゆかりの地を訪ねる。

義仲の生地嵐山町

 京都にあって権力を欲しいままにしてきた平家でしたが、1183(寿永〈じゅえい〉2)年源氏の進攻によって都落ちしていきます。その時の源氏の中心的な武将が木曽義仲でした。義仲は1154(久寿〈きゅうじゅ〉元)年、現在の嵐山町で生まれたと言われ、義仲に関係する伝承や伝承地が町内に多く残されています。
 義仲の父は源氏の棟梁(とうりょう)・源為義(ためよし)の次男、源義賢(よしかた)で母は小枝御前(さえごぜん)です。義賢は嵐山町の大蔵に館を構えて住み、そのころ義仲は駒王丸(こまおうまる)という幼名で呼ばれていました。義仲が生まれたのもこの大蔵館に近い鎌形の地内と伝えられています。源氏の氏神としてまつられる鎌形八幡神社や、そこにある伝木曽義仲産湯(うぶゆ)の清水などをはじめ、町内にある多くのものが「義仲誕生の地」を物語っています。

木曽義仲史跡マップ
地図 嵐山町は、歴史と自然が豊かな町です。町内には、特に木曽義仲と畠山重忠ゆかりの史跡が多くあります。嵐山町を散策すると、中世の歴史が自然に楽しめるのではないでしょうか。
大蔵館跡/県指定史跡
大蔵館跡|写真 平安時代の末期、1153(仁平〈にんぺい〉3)年頃、源義賢が秩父重隆の養君となって上野国(群馬県)多胡から移り住んだと伝えられています。
大蔵神社
大蔵神社|写真 大蔵神社の森は周囲よりも高くなっており、今でも高い土塁に取り囲まれています。義賢の屋敷はこのあたりにあったと考えられています。
伝義仲産湯の清水/町指定史跡
伝義仲産湯の清水|写真 鎌形八幡神社境内にあります。木曽義仲は、父義賢が大蔵館に移り住んだ仁平年間に鎌形の館で生まれたと伝えられます。鎌形にはかつて七清水と呼ばれる湧き水があり、その清水を汲んで産湯にしたといわれています。この清水は、七清水の一つに数えられています。
伝山吹姫の墓
伝山吹姫の墓|写真 山吹姫の墓と伝えられる戦国時代の五輪塔です。
班渓寺(はんけいじ)
班渓寺|写真 鎌形に所在し、木曽義仲の愛妻山吹姫の菩提寺とも、開基ともいわれています。山吹姫の戒名は「威徳院殿班渓妙虎大姉(いとくいんでんはんけいみょうこだいし)」と言いますが、江戸時代に追善した贈り名と考えられます。境内には、山吹姫の墓と伝えられる供養塔があり、毎年3月には義仲を偲んで、慰霊祭が行われています。

大蔵の戦い

 木曽義仲の父源義賢は、近衛天皇が東宮(とうぐう)(皇太子)のとき、その警護役である帯刀(たてわき)の長官だったことから帯刀先生(せんじょう)と呼ばれました。1153(仁平〈にんぺい〉3)年頃、武蔵国の名族秩父重隆の養君(やしないぎみ=娘婿)として上野国(群馬県)多胡から武蔵国(埼玉県)大蔵へと迎え入れられ、大蔵館を構えたと言われています。
 そして、1155(久寿2)年、義賢は嵐山町大蔵の地で起こった「大蔵の戦い」で非業(ひごう)の最期をとげることになります。義賢の兄義朝(よしとも)の長男である悪源太義平(あくげんたよしひら)は、この地方に勢力を伸ばすために大蔵館を攻め、義賢とその一族の大部分が討ち死にしました。しかし幼い駒王丸(後の義仲)は危うい所で命を助けられ、その後の時代に大きな影響を与えることになります。

伝木曽殿館跡
伝木曽殿館跡|写真 鎌形にあります。昔からこの地は木曽殿(きそどん)と呼ばれ、駒王丸はここで生まれ、育てられていたと伝えられる場所です。館跡は台地上にありますが、崖の中腹には清水があり、木曽殿清水と呼ばれています。
木曽義仲公顕彰碑
木曽義仲公顕彰碑|写真 平成2年12月に地元鎌形の人々によって建立されました。
木曽義仲は800年あまりを経た今日でも郷土の誇りとして生きつづけています。

駒王丸木曽へ向う

 駒王丸は、大蔵の戦いで父源義賢が討たれたとき、わずか二歳でした。義賢を討ちとった悪源太義平は「駒王丸を見つけて殺してしまえ」と、家来の畠山重能(はたけやましげよし)に命じ鎌倉へと発っていきました。
 その後、駒王丸は鎌形の屋敷で捕えられたといわれていますが、重能と斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)とのはからいで、母小枝御前と共に命を助けられます。実盛は駒王丸を七日間かくまったものの、東国には鎌倉の家人(けにん)が多く危険なため、山深い信濃国(長野県)木曽の中原兼遠(なかはらかねとお)に養育を頼みました。こうして幼い駒王丸は、やがて自らの姓となる木曽の地へと向ったのです。

斎藤別当実盛像(熊谷市歓喜院境内)
斎藤別当実盛像|写真