嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
3.復元・嵐山の古墳〈その2〉都幾川流域の古墳群
日常の世界と黄泉の国
古墳の立つ丘は、いわば目に見える黄泉の世界です。それに対する生者の世界はどこにあったのか。この対比をうまく説明してくれるのが大字鎌形の東落合遺跡と都幾川流域の古墳群です。
遺跡は鎌形二瀬で合流する直前の、都幾川と槻川に挟まれた地にあります。両河川によって形成された肥沃な河岸段丘上に田畑を営み暮らすムラです。そして東落合のムラ人が造ったと考えられるのが、約1キロメートル下流にある行司免古墳群をはじめとする都幾川流域の古墳群です。集落と川に沿って続く耕地、そしてそこに暮らし働くムラ人の日常を、黄泉の国の丘が静かに見守っています。
- 菅谷台地の古墳群遠景航空写真
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都幾川右岸をみると今の254バイパス周辺の湿地帯に水田が広がり、それを見下ろす少し高台に古墳が造られています。左岸は川に面した低い面に水田が広がり、やはり一段高い場所に古墳が造られています。 - 山王古墳群
- 都幾川左岸、オオムラサキの森の中にある山王古墳群には10数基の円墳がのこされており、町内に現存する群集墳のなかで最も良く当時の様子を偲ばせる風景がみられます。
- 行司免1号墳
- 行司免1号墳出土・玉類
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僅かに残っていた石室の中から金環(イヤリング)と勾玉・小玉・ガラス玉の装飾品が出土しました。石室に葬られた人が身に付けていたのでしょう。 - 行司免1号墳出土・須恵器
- 胴の穴に竹などの筒をはめ込み、おそらくは酒を注ぐ小さな壺です。石室から出土しました。
- 行司免2号墳
- 行司免4号墳
- 東落合遺跡遠景(上)と竪穴住居跡群(下)
- 都幾川と槻川の合流点に東落合遺跡の集落は営まれました。まるで二本の川とそのまわりの水田を支配しているようでもあります。この集落の有力者たちが行司免古墳群に葬られたのでしょう。