嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
1.嵐山町の弥生文化
五百年の空白を経て
嵐山町の遺跡
嵐山町には、紀元3世紀に至ってついに弥生文化が到来しました。北九州に稲作文化が根づいて以来、実に500年以上が経過したことになります。その間、人々はどうしていたかというと、縄文時代の終末期の細々とした暮らしが続いていましたが、やがてその痕跡も途絶え、おそらく数百年は人の踏み込まない地域となっていたようです。
その地に再び人が立ち戻ってきたのは、丘陵特有の地形である、清水の流れ出る幾筋もの小さな谷が水田に適していたからです。隣接する東松山市、滑川町などからムラは徐々に増え始め、嵐山町にも及んだわけです。