嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
2.嵐山町の遺跡
- 蟹沢(かにさわ)遺跡(県立埋蔵文化財センター提供)
- 大字吉田にあり、谷を見下ろす丘陵に集落を営んでいます。11カ所の住居跡が見つかりましたが、一時期に存在したのは、その半数だと思われます。
- 蟹沢遺跡全測図
- 竪穴住居は細長い丘陵尾根上から発見されました。
- 壺(蟹沢遺跡第13号住居跡、県立埋蔵文化財センター蔵)
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口縁部と胴下半を欠失しています。口縁部は粘土紐の輪積痕の上に刻み目を入れて紋様としています。肩部には縄目の紋様が見られます。 - 蟹沢遺跡第8号住居跡(県立埋蔵文化財センター提供)
- 歪んだ方形をしており、規模は4.8×4.4mを測ります。柱は、柱穴を掘って埋めず、床に直に置くだけの「置き柱」です。
- 蟹沢遺跡第14号住居跡(県立埋蔵文化財センター提供)
- 一辺4.3m前後の住居です。柱は、埋め柱で4本の柱穴が掘られています。中央には2基炉がありますが、同時にあったものか、造り替えたのかはわかりません。
- ミニチュア土器とその出土状況(県立埋蔵文化財センター蔵)
- コップほどの大きさの土器は、日常の食器ではなく、マツリに使われた祭祀用具だったと考えられています。
- 土製勾玉(まがたま)
- 弥生時代の勾玉は、きれいな石ばかりでなく、素焼きのものもよく発見されます。
- 甕・鉢・高坏(大野田西遺跡出土、県立埋蔵文化財センター提供)
- 弥生時代の石器(大野田西遺跡出土、県立埋蔵文化財センター蔵)
- 上から磨製石斧(木を伐る斧)、打製石斧(土掘りの鍬・鋤)、磨石(木の実などを摺り潰す)。
- 大野田西遺跡の住居跡群(県立埋蔵文化財センター提供)
嵐山の弥生遺跡
町内では現在までに4か所の遺跡が確認されています。ムラの遺跡は3か所、いずれも丘陵の先端部分の少し高台になっている所にありました。住居数が4、5軒から10軒ほどの小規模なムラです。住居が重なり合っていたりする状況から、何世代かにわたって住み続けていたこともわかりました。ムラから見下ろす低地には、水田が作られていたと考えられますが、残念ながら水田の跡は発見されていません。
大字大蔵の行司免遺跡には、墓地がありました。方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)と呼ばれるもので、溝で囲んだ中央に死者を埋葬しています(次ページ写真)。大人数での土木作業を必要とするこうした墓は、一般人のものではありません。嵐山町でも、土地の人々を束ねるような立場にある有力者が現れたことを物語っています。