嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
1.ローム層の中の遺跡
赤土の中の石器
関東平野にはかつての富士山、箱根山、浅間山などの火山活動の結果として、火山灰が厚く堆積しています。関東ローム層。俗に赤土と呼ばれる黄色みの強い褐色の、粒子の細かいこの土は、埼玉県の大宮周辺では厚さ約二メートル、関東西部では四メートルにも達します。私たちの祖先の生活の跡は、立川ローム層と名づけられた最上位の層の中から発見されます。まだ土器が発明される前の、旧石器時代の人々が使った石器などです。ただし火山灰土は、草木や動物などの有機物を溶かしてしまう性質を持っています。このため残念なことに、ローム層中に人骨や動物の骨などは残っていないのです。また、これより古い三万年以前の層の中の、人類の痕跡を求める研究は未だ研究途上にあります。
- 所沢市中砂遺跡出土石器(県立埋蔵文化財センター提供)
- 立川ローム層から多数の石器集中か所が検出されました。石器はその形状からナイフ、削器、彫器など他種に分類されています。
- 中砂遺跡土層断面(県立埋蔵文化財センター提供)
- 立川ローム層は約2m堆積し、I層からX層が確認できます。V層とVII層が黒色帯(ブラックバンド)です。III層は縄文時代以降、III層からV層に旧石器時代の遺物が含まれています。
旧石器人の生活
旧石器時代の人々は、一つの地に定住せず、獲物を求め、また気候に合わせて点々と移動していたと考えられます。寝食の場も、洞穴や岩陰などを選んでいたようです。大地に生活の跡が残される機会はとても少ないのですが、ときには開けた場所にとどまることもあります。石器作りがそのひとつです。径二〜三メートルの範囲に石器や、作るときに出るかけら(剥片)が多数まとまって発見されます。その周囲には、柱を立てるための小さな穴が見つかることもあります。テントのような、簡単な住居を作っていたと見られます。さらに、その付近で見つかる拳大の焼けた礫のまとまりは、食物を調理した跡です。短期間ながら、旧石器人も住居を作り、半定住生活をしていたことがわかるのです。