嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」
1.ヒトはアフリカから
ヒトの誕生
アフリカから始まった旅
550万年ものはるかな昔。アフリカ東部の、木の上で生活していた哺乳類のある種が、大地に降り立ちました。ヒトへの進化の長い旅の始まりです。枝にぶら下がって移動するかつての行動は、地上では立って歩く姿勢となりました。歩行から解放された両手は、繊細さ、器用さを増し、やがて道具を巧みに作り出します。道具作りや狩りの工夫などが、すべて頭脳の発達につながりました。およそ100万年前の原人は、火を使いこなし、ヨーロッパ、アジアにまで住む地域を広げていったのです。
しかし、ヒトの進化の道筋は、一本だけではありませんでした。500万年の間には幾種類もの猿人・原人・旧人たちが生まれ、また絶滅しています。現在の私たちに直接つながる遠い祖先の新人が誕生したのは、約10万年前のことです。
日本人の起源
岩宿遺跡の発見
1949年、厚く堆積した火山灰の中から、初めて石器が発見されました。火山活動が激しく、不毛の地と思われていた時代のものです。岩宿と名付けられたこの遺跡の発掘調査から、日本人の起源の研究が出発しました。同様の石器群は、その後全国各地で発掘され、およそ3万年前には、日本に人類が生活していたことが確実となりました。
当時の日本は、北はシベリアと、南は朝鮮半島とつながっていて、巨大な湖だった日本海を挟むアジアの沿岸の一地域だったのです。アフリカで生まれた人類の祖先は獲物を追い、また住みやすい地を求めて移動し、ついに大陸の東の端にまで到達したのでした。
しかし、旧石器人が暮らした痕跡を探すのは、容易なことではありません。日本の土壌は石以外のほとんどのものを溶かしてしまうからです。港川人など、運良く残った人骨は貴重な手掛かりとなっています。
- 港川1号人骨全身骨格(東京大学総合研究博物館提供)
- 沖縄県具志頭村港川石灰岩採石場で発見された18000年前の男性人骨です。推定身長は150〜155cm、上半身は華奢ですが下半身は普通に発達し、手と足が身体の割りに頑丈です。歯が著しく減っていました。
- 25000年〜15000年前の日本列島と旧石器人の渡来経路
- 旧石器時代の日本列島は、津軽海峡や対馬海峡が陸橋となりアジア大陸とつながっていました。列島の大部分は、ブナ、ナラなどの冷温帯落葉樹林と、亜寒帯性の針葉樹におおわれた寒冷な気候でした。旧石器時代の石器製作技法が北方系と南方系に分かれることから、人々は陸づたいに北と南からやって来たのだと考えられています。
- 群馬県笠懸町岩宿遺跡A地点の発掘調査
(明治大学考古学博物館蔵、笠懸野岩宿文化資料館提供) - 相澤忠洋によりローム層中から石器が発見され、1949年、明治大学考古学研究室による発掘調査で、日本で初めて旧石器時代の存在が確認されました。
- 岩宿I石器文化の石器
(国重要文化財、明治大学考古学博物館蔵、笠懸野岩宿文化資料館提供) - 下層の岩宿暗褐色粘土層から19点出土し、岩宿I石器文化と命名されました。約3万年前です。石器の種類には、石斧、ナイフ形石器、剥片類などがあります。