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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第4節:今昔話・伝説

川島の今昔[権田重良]

川島の今昔(その8)下の屋号

                   権田重良

 沼を過ぎた東側の下(しも)の川島には屋号が続いている家は少ない。明治の初めに鬼神様の近くに移り住んだ家が多いと聞いている。月輪(つきのわ)境より屋田の家【森田佳男】は地名。西となりの酒屋【森田昌男】は先祖が酒造販売をしていたといわれる。酒屋の曽祖父の浦蔵は明治時代に建てられた川島の石碑に多く名が刻されており、寛山和尚の筆塚の建立、川島の地名復活等に尽力した当地の指導者で、川島の為につくした人である。当主の父浦蔵さんも村会議員として活躍し、市野川改修に尽くして、記念碑の建設地も提供しており、世話人として名が刻されている。屋田の家の祖父の森田與資さんも戦後の菅谷村村会議員として村政に携わり、見識者として嵐山町誌編さんに協力している。
 下沼を裏にして島浮ウんの家【島封カ男】がある。先祖の島風「次郎は剣道の達人で、甲源一刀流の師範として多くの門弟がおり、埼玉県の剣士として名を残している。昭和十八年(1943)に奉納した額が鬼神様に飾られている。剣道の先生の家として、神官の家系の小川家とともに苗字に「さん」をつけて屋号としている。島武ゥの家には何れも屋号が見られないが、本家分家の関係と思われる。
 鬼神様よりの初雁家【初雁康之】は、明治になって杉山より下川島に移り、養豚業として栄え、豚屋の屋号で知られている。
 川島に残る屋号は、他の土地にみられる格式、本家分家、土地柄を示す山・川・上・中・下・田・畑等で表す家は少ない。鬼神様の繁栄に伴い訪れる参詣者相手の商いや農間の余業とした家業を屋号とした家が多いことがわかる。耕地、山林の少ない川島の土地柄である。

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