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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第4節:今昔話・伝説

川島の今昔[権田重良]

川島の今昔(その3)薬師様・鬼神様

                   権田重良

 川島の権田、田幡、島崎、森田各家の菩提寺は広野の広正寺であり、薬師様のお堂と本尊様は現在、広正寺が管理している。薬師様は「きかず薬師」、「木掛り、つんぼう薬師」とも言われた。耳の病に御利益があると穴の開いた石がたくさん納められていた麦藁屋根の三間×三間位の大きさの本堂と八疊二間に土間の庫裡は改修されて新しい堂と公民館に変わっている。町一番のむくれんず(ムクロジ)の大木、入口にあった男松、女松の老木も枯れ果ててその姿はない。春の御釈迦様、旧暦の九月の晦日の薬師様の縁日には境内に売店が並び、夜には村芝居の興行があり、お籠もり(おこもり)をする信者や信者や参詣の人で薬師様はにぎわった。昔、洪水に流されて木に掛かっていた仏様を村人がお堂を建て安置した言い伝えのあるご本尊、花見堂に飾られ甘茶をかけて子供たちが親しんだ木彫りの小さなお釈迦様も戦後、朽ち果てていたお堂から盗まれ、行方不明となった。お堂の改築の際、本尊は新たに作られて安置されたが、お釈迦様は現在もない。
 川島の中程にある鬼鎮神社は今から800年以上も前、1182年(寿永元)、畠山重忠が菅谷館築造のときに艮(うしとら)の方角に祀ったといわれているが、地元では川島の鎮守、鬼神鎮様として親しまれて来た。江戸時代の『新編武蔵風土記稿』の広野村の項に「鬼神明神社 村民持」と書れている【その原稿にあたる、「村方古物改口上書」(広野・永島正彦家文書No.22)には、「飛地川嶋ニ鬼神明神一社四給入会川嶋氏子村持」とある。】

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