第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
郷土の今昔[安藤専一]
六、正月行事の今昔
歳末の山里では、家の軒下や庭先に高く年木を積み上げて春を待ち、歯朶刈・注連作りが行われ、町には年の市、羽子板市が立ち、年も暮近くなると門松の飾りつけがされ、各家の要所は注連が飾られる。煤払い、畳替えも済んで餅搗が終ると、いよいよ大晦日となる。昔は年男を中心に念入りの正月準備がなされたが、昨今は大分様相も変って正月準備もえらく簡素化された。テレビの紅白歌合戦に興じ、晦日蕎麦をすすって年の夜を惜しむ風景は、町も農山村も同じようで、これが近頃の除夜風景といってよい。百八の煩悩を一つづつ救うという除夜の鐘は、行く年来る年を荘厳にしてくれ、清浄な中に新春を迎えるわけである。
松の内。松飾のある間が松の内である。関東では元日から七日まで、関西では十五日までを松の内とするようである。昔はこの辺でも七日間を松の内として正月気分にひたったようであるが、今は五日または三が日で注連飾や門松を取り払う家が多くなった。
一月一日は年の元日、昔の四方拝の祝日である。現在も国家の祝祭日とされ、年の第一日として各所各様の行事が行われる。歳旦祭は神官を招じて各鎮守ごとに執行され、氏子一同の幸運を祈願し神酒を酌み合うて身心の清浄と多祥を念ずる郷土行事である。
初雞、初明り、初日、初空、初詣、若水、初暦、初かまど、初富士、初笑、初泣等々は新年初めての諸行事で、新鮮さ豊かなもの。
一月二日は単に二日と呼ぶ。商家では初売りの荷をにぎわしく飾り立てて、昔は馬、今はトラックなどで送り出す。これが初荷であるが、昨今は昔のような華やかさは消えてしまった。この日も今は乱雑となり種々変化している。
初夢は二日の夜から三日の暁にかけて見る夢である。長き夜のとおの眠りのみなめざめ 波乗り船の 音のよきかな
この歌を認め、紙で折った宝舟に入れ、枕の下に敷寝して吉夢を得ようとし、もし悪夢のときは之を水に流すのである。この行事は今はごく小数の風流人のする所作となってしまったが、正月らしいイメージの一つである。
また二日は書初をする。古くは元日に公武両家の人達で試筆を揮ったものであるが、今は書をよくする人達が詩句作句等を揮うもので、多く二日を期して行われる。学校の児童生徒の書初もまた二日に書くものが多い。
一月三日は元の元始祭の日である。新年に始めて仕事につき事務をとることを事務始めまたは仕事始めという。農家の仕事始めに山始、鍬始等があって、山の神、田畑の神々にお参米して今年の豊作を祈願する行事は二日又は三日に行われたが、昨今は殆ど絶無となった。諸官庁の事務始は三日まで公休のため四日に変っている。年末の御用納め、新年の御用始は昔ながらの用語が使われ、今なお御役所として公僕の立場を重視しているようである。
七日は七種粥をつくる。春の七種はせりなづな、御形(ごぎょう)はこべら仏の座、すずなすずしろこれや七種
の歌のとおりで、古くから万病を払う攘い邪気を除くといわれ、若い乙女子の手に摘まれ、煮られるのが本義とされている。若菜は七種の総称とされている。冬枯の野に出て、七種を摘み、これを粥にして食するということは、新年の一日にふさわしい清々しい行事である。
安藤専一『郷土の今昔』 1979年(昭和54)1月
一月十日 初恵美須、十日戎
小正月 一月十四、十五日 餅花繭玉
小豆粥 一月十五日 十五日粥ともいう
一月十六日 薮入り 養父入り 里下り
一月二十日 二十日戎