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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第4節:今昔話・伝説

嵐山町の伝説(嵐山町教育委員会編)

十七、相生の松(あいおいのまつ)

 この名木相生の松は、樹高約十五メートル周囲約三・五メートル、樹齢約三百年を経る古木でありました。別名夫婦松ともいって、古里東北部の山林中にありました。同所安藤源蔵さんの所有したもので、同氏の先祖源三郎が、今を去る三百年前、本家安藤文博家から分家の折、その記念として植樹されたものと言い伝えられています。
相生の松と源三郎夫婦|挿絵 雌(おす)、雄(めす)の松が太枝をはり合って抱擁(ほうよう)する姿はまさに夫婦和合の象徴で、すばらしい景観でありました。約三百年の樹齢を持つこの松も、昭和三十年秋頃枯死して伐採され、今はその雄姿を見ることが出来なくなってしまいました。
 この『相生の松』は、戦前戦後を問わず古くから近郷近在はもちろん、遠く東京方面からもわざわざ訪れて、その奇をたたえるほどでした。それは松の木の不思議な伝説に、魅力を持たれて出かけたものでありましょう。
 この『相生の松』は、前記のとおり源三郎さんが分家記念として、男松及び女松一対を植樹したものであります。
 源三郎さん夫婦は近郷の評判が立つほど、夫婦仲がよく、昼は連れ立って野良へ出かけ夜は向かい合いで夜業にいそしみ、いつも二人が離れて仕事をするということはありませんでした。しかしどういうわけか何年もの間子宝に恵まれません。二人は非常にこれを苦にして、何とか子宝を得る術(すべ)はないものかと、日夜心配するのでした。そして源三郎さんは、村の明神へ願かけをして、それから百日間、子(ね)の刻参りを断行いたしました。大願成就後、ふしぎに妻はみごもり、その後、玉のような男の子を得ることができました。
 この『相生の松』が、いわゆる二樹相接して一体となったのは、それから数十年後であったでしょうか、土地の人たちは「あの松は源三郎夫婦の化身だ。」と評判するようになり、特に子どもを持てない人たちは、ぜひ『相生の松』の余徳(よとく)にあやかって、子どもを授かりたいと考え、ひそかにこの松の葉や皮を煮出して飲む者さえいるようになりました。
 今はこの名木がなくなりましたが、その頃の子の持てない夫婦の中には、この松の余徳にあやかったものが大勢いたことでありましょう。

『嵐山町の伝説』嵐山町教育委員会編 (1998年再版, 2000年改訂)
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