ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第4節:今昔話・伝説

嵐山町の伝説(嵐山町教育委員会編)

十六、道立地蔵(みちだてじぞう)

 植木山の西の方、中島との境を流れる妻の川、そこに架かっている橋を木曽殿橋、また、その近所を妻の沢といいます。南を向くと小高い丘がありますが、そこに石造の地蔵さんが見えます。これが道立地蔵です。
 ミチさんは、かわいい女の子でした。家の手伝はよくするし、皆にも親切でいつもほめられる子でした。大きくなって大工の棟梁(とうりょう)さんのお嫁さんになりました。棟梁というと大工さんを二十人も三十人も使ってお家を造るのですから、お金などいくらもあるし、食べ物など困ることはありません。お家の仕事もお手伝いさんがやってくれるし、よい着物もいっぱいあるし、とてもしあわせでした。
 何年かたった頃、どうした事か棟梁の源造さんが仕事もしなくなり毎日酒ばかり飲んでいるので、大工さんもだんだん減って、ミチさんが三人目の赤ちゃんを産む頃には、だれもいなくなりました。そして源造さんは、家の前の最後の畑を売ることにしてお金を借り、どこかへ行ってしまいました。
 ミチさんは、赤ん坊をおんぶして近所のお家で働かせてもらって、お金をかせぐようになりました。みんなが丈夫の時はよかったが子どもが病気になると困りました。そんな時いつも来て助けてくれるのは川向こうの茂八(もはち)さんでした。茂八さんは、薬草という薬になる草のことをよく知っている人です。病気を見ては、この草をせんじて飲めばと教えてくれ、または自分でせんじて飲ませてくれました。おかげで子どもたちは元気に育っていきました。
 ある秋の夜の事、茂八さんが来ました。「子どもの病気はどうかね。」という親切な言葉、ミチさんはとてもありがたく思いました。それから茂八さんは「用事が出来て急に京都へ行く事になった。今晩でお別れだ、子どもを大事にしてね。それからこの本だが、病気になった時薬になる草のことが書いてあるからよく読んでごらん。また、私の持っているお金もいっしょにあげるから使っておくれ。」と薬草教典という本とお金をくれました。ミチさんはありがたくて、ありがたくて、一度に涙が流れ出しました。
 その時です、雨戸のこわれるほど大きくたたく音がしました。「代官様のおふれだ。」と大声がします。「はい。」とミチさんが言ったが、これは茂八さんが危いんだ、茂八さんを裏口から逃がさなくてはと考えて逃がそうとした。それが遅かった。たたいた雨戸がこわれて外の人が飛び込んで来た。茂八さんはしばられて連れて行かれ、ミチさんは今もらったお金をとられてしまいました。茂八さんのお金をとろうとした悪人のやった仕事だったそうです。

病気の人に薬をせんじるミチさんと道立地蔵|挿絵 それからのミチさんはとても苦労をしました。でも、子どもたちはすくすく育って、ミチさんを助け家中なかよくくらしました。ミチさんは暇を作っては薬草教典を読み、薬草を庭に植えて、病気の人には薬をせんじてあげ、困った人には親切をつくしました。年をとってからミチさんは皆から生きた神様、生きた仏様だといわれました。ミチさんが亡くなったとき植木山や中島の人たちで、ミチさんを忘れないようにと地蔵様をつくりました。『道立地蔵』です。
 頭の痛い時、おなかの痛い時、『道立地蔵』にお願いすると、直ぐなおしてくれるそうです。

『嵐山町の伝説』嵐山町教育委員会編 (1998年再版, 2000年改訂)
このページの先頭へ ▲