ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第3節:災害・消防・警察

警察・駐在

菅谷屯所・菅谷分署・今市屯所・今市分署・男衾分署

 嵐山町全域は現在、小川警察署の管轄です。明治の前・中期頃、この地域を管轄していた警察は?
 埼玉県警察本部教養課発行『新警察風土記』(1978年6月)から関わりのありそうな部分を拾ってみました。

小川警察署の歴史

1875年(明治8)12月 松山警保出張所小川村巡査屯所が設置された。
1876年(明治9)2月 松山警保出張所は松山警察出張所と改められ、同年10月5日埼玉県警察第九松山出張所と改められ、更に、同年12月9日同出張所第三十四小川屯所となった。
1877年(明治10)2月5日 警察署・分署制の実施により松山警察署小川分署となった。1878年(明治11)5月、埼玉県から内務省に報告した資料では、民家を借用して庁舎とし、定員は巡査6人。1890年(明治23)12月の定員は、警部1人、巡査17人、諸雇い1人、計19人。
1898年(明治31)4月3日 比企郡小川町大字大塚25番地ノ2に庁舎を新築移転。管轄区域は比企郡内の小川町、竹沢村、大河村、八和田村、七郷村菅谷村、玉川村、明覚村、平村、秩父郡の大河原村、槻川村、大椚村の1町11ヶ村。
1918年(大正7)4月1日 今宿村、亀井村が小川警察署管内に編入される。
1923年(大正12)12月20日 小川町大字大塚34番地に土地を購入、翌24年1月8日小川町大字小川138番地の深谷商業銀行小川支店所有建物を仮庁舎にあて、同年3月1日工事竣工、本庁舎へ移転。
1925年(大正14)6月15日 小川分署は小川警察署に昇格する。
1927年(昭和2)1月28日 亀井村、今宿村は越生警察署管轄となる。
1938年(昭和13)8月 庁舎改築案がまとまり小川町大字大塚34番地ノ10に着工、翌39年7月13日竣工。
1948年(昭和23)3月7日 警察法施行とともに小川町警察署が置かれて小川町を管轄し、残りの各村に今宿村、亀井村の2村を加えた村部は国家地方警察小川地区警察署が管轄した。
1951年(昭和26)10月1日 警察法の改正により、小川町警察署は廃止され、小川地区警察署に統合され、今宿村、亀井村は越生地区警察署の管轄となる。
1954年(昭和29)7月1日 警察制度の再度の改革により小川警察署となり、区域は、現在の小川町、嵐山町、ときがわ町(玉川村、都幾川村)、秩父郡東秩父村の管轄となる。

埼玉県警察本部教養課発行『新警察風土記』(1978年6月)180頁 より作成

東松山警察署の歴史

1872年(明治5)11月14日 入間県当時、比企郡松山町に松山町見張番所が置かれた。1873年6月15日、入間県と群馬県が合併し熊谷県となり、同年11月1日松山町取締所と改められたが、1874年2月松山警視出張所となった。同年7月22日付で定員10人と定められた。
1875年(明治8)8月 従来の警視出張所を警察出張所に改め、更に、同年12月19日警察出張所を警保出張所と改め等級が設けられた。松山警保出張所は三等で、管理は十五等出仕1人、等外一等出仕1人が詰めていた。同年12月27日松山駐屯所が設置された。
1876年(明治9)2月9日 松山警保出張所は、再び松山警察出張所と改められ、同年8月、熊谷県が廃止され、旧入間県部分は埼玉県に編入される。同年10月5日松山警察出張所は埼玉県警察第九松山出張所と改められる。更に同年12月19日の改正で松山出張所の所轄屯所は、第三十四小川屯所、第三十六松山屯所、第三十七坂戸屯所、第八菅谷分屯所となった。
1877年(明治10)2月5日 警察署・分署制の実施により、松山警察出張所は松山警察署と改められ、屯所はそれぞれ分署と改められた。当時の警察署は松山町大字松山541番地にあったが、1879年(明治12)4月、松山町大字松山4561番地に庁舎を新築移転した。
1882年(明治15)8月10日 松山分署、菅谷分署(後に交番所ができる)はともに廃止され、同時に坂戸分署は川越警察署の所轄となったため、松山警察署の所轄分署は小川分署だけになる。
1886年(明治19)10月15日 新たに下細谷分署が新設され、松山警察署の所轄となる。1889年(明治22)4月1日下細谷分署は吉見分署と改められたが、1893年(明治26)12月1日廃止された。
1909年(明治42)9月20日 松山町大字松山4561番地に庁舎を新築移転した【1879年と同じ場所?】。
1925年(大正14)6月15日 小川分署は、小川警察署に昇格し、松山警察署の所轄からはなれる。
1948年(昭和23)3月7日 警察制度の改革により、自治体警察の松山町警察署が設置されて松山町を管轄し、他の村部は国家地方警察松山地区警察署が管轄した。
1951年(昭和26)10月1日 警察法の改正により自治体警察は廃止され、国家地方警察松山地区警察署に統合された。
1954年(昭和29)7月1日 警察制度再度の改革により松山警察署となる。同時に松山町は、大岡村、唐子村、高坂村、野本村と合併して市制を施行し、東松山市となり、警察も埼玉県東松山警察署となった。同年11月3日、合併により川島村、滑川村が誕生し、吉見村と共に管轄区域が一市三ヶ村となった。
1955年(昭和30)10月13日 東松山市大字松山4373番地に庁舎を新築して移転、1968年(昭和43)9月住居表示変更により同市本町1-2-21番地となる。1972年(昭和47)11月3日、川島町、吉見町が誕生し、管轄区域は一市二町一村となる。

埼玉県警察本部教養課発行『新警察風土記』(1978年6月)168頁〜169頁 より作成

熊谷警察署の歴史

……
1876年(明治9)12月19日 県令甲第110号布達により警察出張所の所轄割りが定められ、熊谷出張所の所轄屯所は、第二十四熊谷屯所、第二十五妻沼屯所、第二十六深谷屯所、第三十寄居屯所、第三十五今市屯所となった。
1877年(明治10)1月 内務省乙第五号により、同年2月5日(警察署・分署制の実施により)従来の出張所は警察署、屯所は警察分署とした。これにより熊谷警察署が誕生した。
1880年(明治13)7月1日 熊谷分署は熊谷警察署に統合され、1882年(明治15)8月10日妻沼分署、今市分署は廃止された。また、寄居分署は警察署に昇格し所轄を離れたため、熊谷警察署が所轄したのは深谷分署のみとなる。
1886年(明治19)10月15日 妻沼警察署及び熊谷警察署今市分署が新設され、同日熊谷警察署深谷分署は警察署に昇格して所轄を離れた。
1889年(明治22)4月1日 今市分署男衾分署と改められたが、1893年(明治26)12月1日廃止され、同時に妻沼警察署は分署となり熊谷警察署の所轄となった。
1902年(明治35)6月1日 一郡一警察署制の実施により、深谷警察署は熊谷警察署深谷分署となり、深谷警察署寄居分署も熊谷警察署の所轄となる。また、妻沼分署は廃止された。
1920年(大正9)4月1日 深谷分署は警察署に昇格し、1926年(大正15)7月1日分署制の廃止により寄居分署も警察署に昇格して熊谷警察署の所轄を離れた。
……

埼玉県警察本部教養課発行『新警察風土記』(1978年6月)229頁〜230頁 より作成

このページの先頭へ ▲