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第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第2節:福祉・社会活動

新生活運動

新生活運動のために 小林茂夫

 婦人会、青年団等の会議或はこれに類する集会には必然的に新生活運動に関する話題が上るそうである。
 しかし多くの人々がかような点に論を集中し、論議するのは好ましいがさて、実行面になると一人息子の祝だから、一生に一度の行事だから、とて昔ながらの即ち前記の論議されて居る点から逆行して、進歩なしの行事を続行しているのである。会議等の席上では新生活運動云々と声をはり上げて論じている人が、席を一歩離れると昔の人、即ち封建的な人に変つている。
 かような人達は自分自身の行為の矛盾に気付かないのであろうか。各人は調理講習の前に、旅行に行く前に、幹部講習に出席する精神的論理的訓練の為に前記の行為の矛盾について考察する事もまんざら無駄ではないと思う。又道徳的、法的思考力を養う為にも。……
これが実現されゝば、映画館の定員の倍以上入場券を売ると云う不当行為もなくなるし、新生活運動を展開すべく努力すると公言した人が、酒を持つて各所を廻ると云う事もなくなると思う。従つて、新生活運動の展開には先づ心、物両者の改善が必要となつて来るのである。これも別個の改善ではなくして両者の歩調を合せたところのそれである。と云うのは、物が存在すればそれには必ず所有権者がある。所有権者は人(こゝでは自然人のみ)である。従つて人がこの所有物に対して権利を行使し、義務を履行するのは心の作用に依り出たる行為である。故に物と心とはきつても切れぬ関係に有るからである。心の改善を置き去りにする事は女性は特に男尊女卑の世界から実質的に脱出する事は不可能であるから、女性はこの点に力を入れるべきである。
 尚これも法令の限度内に於て為し、それからはみ出た部分は道徳的に行動し、考察するのが好ましいのであつて、権利の濫用はつゝしむべきである。
(筆者は大蔵青年) 

『菅谷村報道』82号 1957年(昭和32)8月31日
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