第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
日本農士学校
重忠館の跡に日本高等農士学校 わが国最初の特殊学校
比企郡菅谷村畠山重忠館跡に設立することとなった日本最初の特殊学校である日本高等農士学校は六万坪の広大なる敷地の買収なり、この程発起人伯爵酒井忠正、金鶏学院学監安岡正篤、東方籌(はかる)の諸氏の校舎、実習地等の実地視察があり、来春早々工事に取りかかる筈であるが、同校生徒は中等学校卒業者で全国各道府県から二名宛知事の推薦者のみを入学せしめ、全部学寮に起臥、校舎は和風疊敷とし、詩情、哲学、信仰の中に新自治主義の研究によって、その一町一村をして小独立国家にしたてやうといふ特殊学校であって、教習要領、目的の大要は左の如くで、酒井忠正伯が校長となる筈である。
目的
一、東洋聖賢の学を講究す
一、特に日本民族精神並に国体と治道とを研究す
一、政治経済の体用を習ひ世界の情勢を講究す
一、産業組合、青年団、公民教育等の村政の研究
一、農芸実習による勤労訓練教習要項
一、学生は総て学寮に起臥し師弟寝食を共にすること
『東京日日新聞』(埼玉版)1930年(昭和5)12月13日
一、講堂、教室は和風疊敷とし、静座調息に習はしむること
一、利用学課については能ふ限り農事試験所、博物館等と連絡を取りて研究すること
一、権威ある同人の来校を得て講究同遊せしむること。機宜に上京せしめ金鶏学院において講習せしむこと
一、有益なる視察見学旅行をなすること
一、聖々の祠堂を立て祭祀を行なふこと