第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
日本農士学校
顕官の田植式 収穀は新嘗祭供御:菅谷村日本農士学校で
比企郡菅谷村にある金鶏学院日本農士学校の神饌田田植式は一日午後四時から後藤農林大臣、院長酒井忠正伯、安岡学監、東方主事、菅原校長以下職員生徒五十四名によって厳かに行れた。後藤農相、酒井院長等は自動車を連ねて午後三時来着、小憩の後金鶏神社の参拝、農園の視察の後、生徒等と同じ紺木綿の襦袢、股引、菅笠を被り腰に山澤の雄と染め抜いた手拭をはさみ高坂神官の司祭で一同玉串を奉納し、終って二班に分れ水田に降り立って二畝歩の挿苗を終り、一同河原で渋茶にぼたもちを喫し、午後六時帰郷したが、収穀は伊勢大神宮、明治神宮、靖国神社、氷川神社、金鶏神社の新嘗祭供御に献ずるのであると。
『埼玉日報』1933年(昭和8)7月9日