第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
嵐山町内の農産物直売の歴史は、1972年(昭和47)11月3日、嵐山町花木園芸組合が中央公民館前で行った即売会にはじまる。出品者は15名、売上げは4万8750円。翌年には地産団地、小川信用金庫駐車場、中央公民館前で直売会を行い、年間売上額は123万4005円となった。嵐山町4Hクラブでは1973年(昭和48)5月3日、地産団地で初めての即売会を行った。20代の農家の若者たちの直売会は好評で、年間5回実施して56万3410円を売上げたが、二年間で取りやめとなった。県民休養地事業の一環として1981年度(昭和56)に指定を受け、1983年(昭和58)に嵐山町が建設した槻川橋側の農産物直売所は町観光協会が経営。1984年(昭和59)5月2日販売開始。販売に当たったのは千手堂生活改善グループ。前年8月2日から川原のテントで農産物直売を初めていた。経過は大塚基氏『嵐山町とともに』(2005年3月発行)が詳しい。
嵐山町の朝市について
“待望の朝市の実現をめざして”
農協、町、生産者が力を合わせて!このたび、農協、役場と生産者の代表者が、嵐山の朝市について、打合せ会議を持ち、準備委員会が発足致しました。初めての事業で色々と大変なことが予想されますので、世話役には、野菜・花木等に経験の深い、忍田政治さんを始め、柴田美作さん、山岸宗朋さんの三名の方々にお願い致しました。生産者代表の心強い意見もあり、「朝市」は昭和六十一年(1986)四月より実施することになりました。四月と言っても、「初市」は二十六日になります。現在初市をめざして関係スタッフは、一生懸命取り組んでおります。「朝市」とは地元でとれた農産物を中心に、生産者が自分で荷造りをし、持出して店を開きます。四月の朝市は、準備の遅れもありまして、一回ですが、五月から十一月迄の七ヶ月間は毎週土曜日の朝六時三〇分から九時迄開店致します。場所は菅谷支店の資材倉庫で、農協と役場の看板が建てられます。
『農協だより』第30号 嵐山町農業協同組合, 1986年(昭和61)4月
野菜の栽培、販売については、今までの農業経営のやり方から見れば、全く初歩となりますが、荒廃桑園、遊休農地の一〇〇%利用を実現するためには、適当だと思われます。野菜もきびしい産地間の競争が展開されておりますが、これを契機に、現在すでに導入されている「ミョウガ」「ウド」「ミニトマト」「ブロッコリー」等と合わせて、さらに作目を拡げて野菜の生産販売に取り組んで行くのが、最善の策だと考えられます。「地元の新鮮な野菜を出来るだけ安く地元の消費者へ供給する」と言う事をキャッチフレーズに実施致します。年々生産量が増加すれば、市場出荷態勢も実施致します。組合員の皆様にはそのような目標を定めた中で、第一歩として「朝市」への協力をお願い致します。
農協は関係機関と連携を密にして、生産・出荷の指導に当ります。尚「朝市」について詳しいことは後日お知らせ致します。
朝市のご案内のチラシ
『嵐山町とともに』(大塚基氏, 2005年3月)347頁より転載