第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
農薬の空中散布実施
菅谷村においては初めての空中散布事業を、八月二十日に日本農林ヘリコプター株式会社の2G2小型機により実施いたしました。実施地域及び面積概要は次の通りでした。
『菅谷村報道』163号 1965年(昭和40)9月30日
北部地域古里前耕地より吉田から勝田につながる耕地(八十九町六反)と南部地域は鎌形より大蔵につながる都幾川沿いの耕地(四十四町八反)計一三四町四反歩の水田に散布致しました。
八月二十日朝濃霧のために予定より二時間半ばかり遅れて南部より散布を開始しましたが、散布開始にあたり、まず作業従事者には航空会社より農薬積込等について細かい注意を受けた後現地確認のために基地班長を代表して金井宣久氏が同乗して散布区域の説明を行いただちに散布にうつり約一時間で散布を終り、北部基地(七中校庭)に移動し現地確認の為役場森下君が同乗し散布区域の説明を行い散布にうつり午后一時三十五分に散布を終了しました。
農薬の散布に要した費用は反当四百三十円の見込みで村では農薬代の三割補助をする予定。
農薬の空中散布についてある農民は次の様に云っている。薬をまく時期が悪い。一化メイ虫最盛期に間に合うようにやることがよい。七月十五日前後がもっとも適当であると思う。八月十五、六日には二化メイ虫は蛾となり、これがみんな卵を産んでしまう。この時期では効果がないのではないか。