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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第3節:農耕・園芸

説苑

新しい農民の誕生 山田巌

労働者には最低賃金「八千円の壁」という言葉が最賃法制定時(1959)流行した。今都市近郊農村には「五千円の壁」という言葉がいわれている。坪当り五千円の地価の所では農業経営は不可能であり所得計算して採算がとれない云わば野の壁だということである。坪当り五千円ということは一反歩百五十万円であり、年利六分の利廻り計算しても九万円となり、これを今流行の投資信託の年一割計算で行けば拾五万の利子となる。この様な計算的基礎の上に立つた農業経営が近時行なわれつゝあり新しい型の農民が生まれつゝある。反収拾五万円の粗収入を挙げることは特殊な農業経営を除いては恐らくナンセンスであり地価もこれだけすると農地転用で金にして労力もかけない天候に左右されない、そして生産費もかけなくて済む新しい型の農民の誕生も決して不思議ではない。これは農民のプチブル化には相違はないが斯く決めつけることは至難である。実はこれがこれからの問題点であり、為政者の心すべき大きな問題なのである。これはその農民が意識するとしないとにかゝわらず表面的には農地転用であるけれども農民が資本主義体制下にようやくにして経済人としての自覚と判断を持ち始めた証左といえるであろう。
日本の農民も封建的思想の旧殻(きゅうかく)を自ら求めて脱皮しようとしている現象である。徳川専制の圧政以来四百年、泥と汗にまみれ農地に密着してさえ居れば失業はないと自ら信じ、政治や経済は「お上」にお委(まか)せときめこんで太平をむさぼった農民も封建的な主穀生産経済から資本主義的な商品の生産分配を中心とする貨幣経済への転化の中に従順・勤勉・無抵抗を最上の美徳と考えていたのでは現在の産業革命の近代では生活権を自ら放棄したことに等しいことを悟つたのである。農民のみが資本の高度性と利潤追及をしなかったのが不思議であり、現在のこの型の農民こそ立派な近代精神と近代思想にいきた新しい型の農民であり、この農民こそ資本主義体制下にあつても充分優先して生き行く人達となるであろう。

『菅谷村報道』125号「説苑」 1961年(昭和36)8月15日
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