第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
危機に立つ日本農業
村は経営合理化に積極的農業政策の推進を!今よく農村に聞く言葉に『働く嫁は貰ひたし家の娘は宿場の嫁に』といふ言葉が御座居ます。これが農村の風潮を表現している言葉の様です。なぜだろうか?これは現今の生活が都市労働者の収入に比較し意外に低く、経済状態そのものが戦後二、三年を絶頂とし、下向の一途を辿つて居り、自分の可愛い娘にも思ふ様な小遣も呉れられない実状そのものが、子を持つ母親の心境となつて表現されていることはいつわりのない所である。
『菅谷村報道』87号 1958年(昭和33)2月25日
数年前より農家経営の合理化が声高く叫ばれている。而し乍ら農村の実状は遅々として、合理化の方向へ進んでいない様に考へられる。今や日本農業は転換の岐路にたゝされて居る。食生活の改善に伴ひ、米の消費量は戦前の国民一人当り消費量一石一斗に対し、現在の都市居住者一人当り五斗五升——六斗となつている。麦の消費量は大麦の消費減を小麦の消費増で補ひ戦前の消費量を維持している。今や農家の頼みの綱は養蚕であるが、二三年前の繭の争奪戦もどこ吹く風、昨年の国会を通つた業者間の生産制限法により、今までの買手市場から売手市場に変つてしまつた。そして今まで、俵二十四万円もしていた生糸も輸出不振と化学セン維の大進出により俵十九万円を維持するのに窮々の様である。この結果生産者の貫当り繭価は千四百円は争えない価格となつた。当地方の特産の甘藷も今までは馬鹿にならない農家収入であつたが、今や甘藷を食用とする時期は過ぎ大部分が加工用となり保証される価格は二十四円五十銭となつてしまつた。ここに日本農業危機説の唱えられる原因がある。本村がその例外では決してあり得ない。こゝに本村の農業収入の実態(推定)を出し参考に供したい。
米の収益(自家消費を含む)九千八百万円
大・小麦(〃)五千二百万円
養蚕(四万貫)六千万円
畜産(養豚、養鶏は資料なきため略す。和牛は計算出来ず。)牛乳日産十一石年間収益二千万円
大体以上となる。
これを該当農家戸数、頭数で調べて見ることにする。
米を農家戸数千三百戸として収益計算をすると、一戸当り平均約七万三千、麦は約四万円、甘藷は約一万三千円となり、養蚕農家は八百戸として約七万五千円となる。こゝに無視出来ないのは畜産収入(乳牛)である。現在飼育頭数は二百五十頭(搾乳、育成)である。飼育農家は一五〇戸一頭平均八万円、一戸平均十三万三千円となる。之を畑計算にして小麦六俵(一俵二千円)、甘藷五十俵(一俵三百円)で計算し、二万七千円となり、肥料代を三千円を差引くとすると純益二万四千円となる【畑一反歩からのおおよその年間利益】。乳牛一頭年間搾乳量二十石として(石五千円)で十万円となり、この五割【五万円】を飼料代として差引いても楽に畑二反歩の利益【二万四千円×二=四万八千円】に匹敵する結果となり、土地の肥培管理の面も考へ合せ一石二鳥の結果となつて現れている。
本村畜産(乳牛)は二十六年(1951)を一〇〇として、頭数にして二〇八となり、利益に於て三四〇の数字を示している。故高崎村長の家畜導入補助金の是非が論じられたが、その成果は遅々としてではあるが数字の上に現れている。奨励的意義は大きものがあつてと思考される。この畜産の収入が示す如く、農家経営の合理化は畜産を加味せずにはあり得ないとは現実の数字そのものが如実に物語つている。この際、村当局に於ても本村農業政策の基本的なものを打ち出し、農業危機打破の体勢を確立し、農業生産率の上昇を期し、購買力を高めることこそが、中小商工業者の繁栄をもたらしめる最大のものではなかろうか。そして、本村構成の七割の農民の切なる希望に応える唯一の道ではなかろうか。比企郡酪農の中心は我が菅谷村にある。三つの酪農団体の事務所を持ち三つの牛乳処理工場も存在している。この菅谷村を『牛乳と密の流れる豊かな明るい平和の郷に。』大方の皆様方の御批判を乞う。山田巌
(筆者は菅谷酪農協会参与・村議)