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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第2節:歴史人物・旧跡

杉山城跡

杉山城跡
関東戦国山城の最高傑作

城攻めの再現|写真1

戦国期城郭の傑作

 玉ノ岡中学校西側の小高い山の頂に県指定史跡杉山城跡があります。戦国時代の山城は、※1土塁(どるい)と※2空掘(からぼり)とで仕切られた※3郭(くるわ)を山の高低差を利用しながら巧みに配置して、少人数で立てこもり、多数の敵を迎え撃つための実践に備えた要塞(さい)です。杉山城跡の見事さはその※4縄張りにあります。およそ10の郭により縄張りを構成し、各郭は※5枡形ますがたや※6食い違い小口(こぐち)が連続し、※7横矢掛かりが多用されるなど優れた防御機能を示しています(P3上図)。またその姿が今日までほとんど無傷で残されていることで、関東でも屈指の、戦国期城郭の最高傑作の一つと絶賛されています。
 本郭を中心として北、東、南の三方向にそれぞれ二の郭、三の郭をはしご段状に連ね、さらに大手口に面しては外郭と※8馬出郭、井戸に面しては上方からこれを防御する井戸郭が配置されています。また帯郭や空掘りは複雑に入り組んでおり、敵にとっては混乱する迷路であっても、城方にとっては、敵の目をかすめて郭間の連絡を取る通路としても機能していたことがわかります。

横矢掛かりを駆使した防御機能

 杉山城の防御機能が特に優れているのは、全ての※9小口に仕掛けられている横矢掛かりと呼ばれる構造に見ることができます。
 次々と攻め入って来る敵兵はまず小口を突破しようとします。そのとき城方の守備兵は正面から迎え打つだけでなく、敵の側面からも矢を射かけることができるようにしたのがこの横矢掛かりです(P3復元図)。攻城兵は一度に複数の敵を相手にすることになり、生命の危機は倍化し、少数の守備兵で多数の敵を何カ月もの間釘づけにすることを可能とするのです。
 しかし、この城は各郭が狭く、堀や土塁の規模も大きくはありません。したがって鉄砲を使って攻めたてられたらおそらく長くは持ちこたえることはできないでしょう。このことから、築城の年代は少なくとも鉄砲が戦いの主流として普及する以前だったとも考えられています。
(博物誌第五巻嵐山町の中世参考)

謎のベールに包まれている杉山城

 この杉山城跡に関する文献資料は一切なく、城主や築城年代の詳しいことはわかりませんが、戦国時代の終わりころに、この地方を支配していた後北条氏による越後の上杉氏に対する軍事境界上の重要拠点(境目の城)の一つであったと考えられています。
 こうしたことに加え、この城跡が完全に近い保存状態で現在まで残されていることも、城自体の評価と歴史的意義を高めています。

本郭中央部の本格発掘調査開始

 杉山城に関しては平成3年に「杉山城跡保存管理計画書」が刊行されています。また昨年度から埼玉県教育委員会と比企地区10市町村教育委員会に専門家の委員を加えた「比企地域中世遺跡検討委員会」が設置されました。このなかで杉山城跡と松山城跡(吉見町)・小倉城跡(玉川村)の3城を歴史的に評価する重要性が検討され、この城跡を学術的に評価するために発掘調査が実施されることとなりました。これまでは玉ノ岡中学校建設時と先の「杉山城跡保存管理計画書」策定にあたって出郭部分での調査が行われましたが、本郭中央部での発掘調査は初めてのことです。

杉山城跡縄張図
【P3図】杉山城跡縄張図「杉山城跡保存管理計画書付図」より


復元図(博物誌第五巻より)

出土した遺物|写真
今回の調査で出土した遺物の数々

今回の調査成果

 今回の調査の主な成果は次のようなものです。
●本郭内での当時の使用面が判明
本郭は丘陵を削って平坦面を作り整地を行っていました。
●土塁の当時の形態や構築方法が判明
土塁の構築方法がわかったほか、北側の土塁は江戸時代にお社やしろを作った際に削られていました。
●火災があり、最終的にこれを片付けている
掘削のほぼ全面から焼土が検出されました。これは城が火災にあい、その後片付けられていることを示しています。これが失火なのか、廃城のとき建物を焼したものかは今のところわかりません。
●陶磁器や土器などの遺物が検出
650点にものぼる(素焼きの土器皿)の破片。中国製の陶磁器、瀬戸・美濃産の天目茶碗・皿・すり鉢が数点出土しました。かわらけは日常的に使用されるものではなく、また、日常生活用品が非常に少ないことから、生活感のあまりない城であると考えられます。

守備兵|写真
守備兵

攻城兵|写真
攻城兵

見学の際はご注意を

 杉山城跡は全て民有地ですが、地権者の方々のご理解により一般公開されていています。また地元杉山地域では年数回、下草刈りを実施しています。見学の際は十分に注意してください。また史跡としての整備が望まれており、町でも平成13年度から本格的な環境整備を実施しています。今後は散策ルートの設定や案内表示、説明版などの整備を予定しています。杉山城跡 発掘調査現場見学会が開催されました3月30日、杉山城跡発掘調査現場見学会が開催されました。この見学会は、現在までそのを姿を残したままの杉山城跡を多くの皆様に知っていただくとともに、本格的に始まった発掘調査の現在までの報告を兼ねて行われました。当日は天候にも恵まれ、地元の方々を始め多くのマニアが訪れました。また職員らによる城攻めの再現も行なわれました(写真上)。

杉山城跡|写真

城攻めの再現|写真2

見学会に集まった方々|写真

用語説明
※1土塁 郭の縁などに沿って土を盛り上げた防壁
※2空堀り 水の入っていない堀
※3郭(曲輪) 近世城郭における本丸・二の丸のような、まとまった機能を担う平坦面
※4縄張り 防御施設の組み合わせによって構成された平面プラン。築城の際、現地に縄を張って造成に備えたのでこう呼ばれる
※5枡形 主たる城門と、もう1つの門を設定できる箇所とで方形の区画を構成し、侵入者の行動を規制して反撃しやすくした小口
※6食い違い小口 左右の塁線が一直線にならずずれているため、侵入者が方向転換しないと通過できないように工夫された小口
※7横矢掛かり 侵入者に対して側面からの攻撃(これを「横矢を掛ける」と呼ぶ)がしやすいように塁線を張り出させる工夫
※8馬出 城内から外へと騎馬を押し出すために工夫された小口の区画
※9小口(虎口) 城内外・郭間の通用口
参考 嵐山町博物誌第五巻「戦い・祈り・人々の暮らし」

『広報嵐山』145号 2003年(平成15)6月1日
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