第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
笛吹峠
雪見峠は笛吹峠
四、雪見峠(一名笛吹峠) 観音の西北に雪見峠あり、昔坂上田村麻呂東夷征伐の時、六月一日此の山上に登り雪を眺めしにより此名ありと、又畠山重忠月明の夜、此の山嶺に於て笛を吹きしに依り、笛吹峠の名起れりと謂ふ。天平八年*1(二〇一三年*2)新田武蔵守義宗、義軍を率ゐて笛吹峠に二陣を取りたるに、義に勇む忠烈の士(武蔵国人)多く来り属せり。足利尊氏大に驚き、鎌倉を立って来り戦ふ。義宗終日決戦数度懸(カケ)破りしも、衆寡敵せず、遂に止むなく夜中越後に引上げたり。
*1:正平七年の誤記。正平7年は西暦1352年。正平は南朝の年号。北朝の年号だと観応3年にあたる。
『岩殿山案内』1918年(大正7)発行、16頁
*2:元号は皇紀。皇紀は神武天皇即位の年を元年と定めた紀元。皇紀元年は西暦紀元前660年。
笛吹峠の戦い:正平7年(1352)閏2月、南朝勢力の回復を目指す新田義貞の子、義宗・義興軍が宗良親王を奉じて足利尊氏軍と戦った「武蔵野合戦」最後の決戦。小手指ヶ原の合戦に続き、足利勢が再び勝利したことにより、室町幕府の実質的な関東支配が開始されることになった。