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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第1節:景勝・名所

武蔵嵐山(嵐山渓谷)

一平荘の通行料問題

武蔵嵐山一平荘では、観光客から、一人当二〇円宛(ずつ)の入場料をとつているがこれは、観光客にひどく不快の念を与え、非難の投書が度々村当局に送られて来た。
これは折角再開の嵐山観光事業に暗い影を与えるものとし村でも東武とも協議し一平荘に対して、善処方を要望して来たが、未だにスツキリとした解決を見ることが出来ないでいる。
ところが一平荘では此の程この入場料に、さらに輪をかけたような、道路通行料をとつて、世人の憤激を買つている。事は、嵐山道路一平荘の手前、塩沢橋への岐路の附近に一平荘から出張して、二〇円の通行料を要求するという。外来者のみならず、村民までこの金をとられたといふので、新聞の投書やら村当局への陳情やら、喧々(けんけん)ごうごうの態である。そもそもこの道路は、千手堂から山の入口までが村道、以下遠山まで、松月楼主庄田氏(一平荘の前身)の作った私道である。「私道の維持費と一平荘の客の吸収策のために、料金を貰った」と川崎支配人はいつている。(料金をとれば折角金を払つたのだからといふので客は自然一平荘に入つてくる意)これに対して、村では「千手堂から山の入口までの村道を改修したり、バスの駐車場設定を斡旋したりして、観光事業の発展につくしている。村道の部分は村の責任で、私道の分の【は】一平荘の責任で道路改良を実施し、誰でも自由に通らせるといふ約束である。村民か らまで金をとるとは怪しからぬ。又、村民ではなくとも観光客から通行料をとることは、観光事業の発展を著しく阻害するものだ。」といっているが、一平荘に交渉しても、今の処、やつぱり不得要領でハツキリした結論に到達しないらしい。

『菅谷村報道』114号 1960年(昭和35)9月10日
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