第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
武蔵嵐山(嵐山渓谷)
蚕影山 (こかげさん)
細原は嵐山の中心であるがここが、菅谷花月園とよばれ、新長瀞と称せられ、遂に、武蔵嵐山として、新日本百景に登場するにいたつた大きな力は細原対岸東方に峭立(しょうりつ)する蚕影山の景致である。
『菅谷村報道』85号 1957年(昭和32)11月30日
菅谷村風土記稿(本村所蔵)によれば、「巨巖重畳して高さ十余丈。岩間に老たる苔松は槻川の河面に伏し、絶頂に、蚕守護の蚕影山神社の宮殿あり。山嶺は一面の松林にして、南は本村塩山の高山及び道見山を近く望み、北に槻川を隔てゝ、大平山の岩山を近見して、西に細原あり、面前に槻川を帯びたり。川中巨大の石間を漲流(ちょうりゅう)せる水泡は恰(あたか)も白布を瀑(さら)すが如し之に浮遊する鮎魚は概して一尺有余にして、数十匹並列して淵深たる川中を争ひ躍回する鮎魚はさながら鯉魚の如し部中第一の名勝たるを踏めり。」
「写真 蚕影山の巨岩 対岸よりうつす」