第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
武蔵嵐山(嵐山渓谷)
槻川橋 (つきがわばし) 二瀬から槻川に沿つて、上流に進み槻川橋の上に立てば、青嵐、白礫、武蔵嵐山の景勝が眼前に開ける。嵐山の名は、昭和の初、本多静六博士が来村して、この橋の上に立ち、上流を眺めてこの景色が、京都の嵐山に似ているというので、武蔵嵐山と命名したといふ。 「写真上は槻川橋 下は橋上から嵐山をみる右が大平山の一部」 『菅谷村報道』85号 1957年(昭和32)11月30日
二瀬から槻川に沿つて、上流に進み槻川橋の上に立てば、青嵐、白礫、武蔵嵐山の景勝が眼前に開ける。嵐山の名は、昭和の初、本多静六博士が来村して、この橋の上に立ち、上流を眺めてこの景色が、京都の嵐山に似ているというので、武蔵嵐山と命名したといふ。 「写真上は槻川橋 下は橋上から嵐山をみる右が大平山の一部」