第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
武蔵嵐山(嵐山渓谷)
武蔵嵐山第四十一位に入選 週刊読売「新日本百景」に
本年四月から十一月まで八ケ月に亘って続けた「新日本百景」の投票は十一月十日で締切り、その結果が主催の週刊読売誌上に発表になつたが本村の武蔵嵐山は四、八〇八票を得て第四十一位の好成績で入選した。
『菅谷村報道』85号 1957年(昭和32)11月30日
武蔵嵐山の発祥は勿論、松月楼附近の景観で、細原とその岸を洗ふ槻川、対岸の山容等が中心となつているが、われわれは単にこの附近だけを嵐山として限定したくない。菅谷の城址、研修所附近の風光、都幾、槻二川の清流。槻川橋をとり入れた山と川との調和、時雨山道、大平山、塩山の眺望、春の桜、秋の紅葉、栗拾い、茸狩り等、これ等を綜合し、更に鎌形八幡、大蔵館址、笛吹峠まで足をのばした区域を武蔵嵐山と考えたい。このような考へから先ず嵐山の一部を写真探訪した。これがその一班である。
「写真は半島の東岸、槻川亭附近」