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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第1節:景勝・名所

武蔵嵐山(嵐山渓谷)

比企高地(武蔵嵐山)

家族向

地図:熊谷
池袋 −東武東上線1時間15分→ 武蔵嵐山 −1キロ・15分→ 畠山重忠館趾 −2.5キロ・50分→ 武蔵嵐山(あらしやま) −0.5キロ・15分→ 小倉城址 −1キロ・25分→ 下里 −2.5キロ・50分→ 下里観音−3キロ・1時間→ 小川町 −東上線1時間25分→ 池袋
費用概算:2円11銭(池袋−武蔵嵐山99銭、小川町−池袋1円12銭)
:武蔵嵐山駅の近くに、有名な国学の精神道場、農士学校がある。尚、嵐山から次のコースをとる事も出来る。
 嵐山 −0.5キロ・5分→ 遠山 −1キロ・20分→ 仙元山 −2キロ・30分→ 上古寺鍾乳洞 −2キロ・30分→ 小川町


国学の精神道場・吉見百穴・鍾乳洞

一般向

地図:寄居、熊谷
池袋 −東上線1時間10分→ 武州松山 −2キロ・30分→ 吉見百穴 −2キロ・30分→ 武州松山 −東上線7分→ 武蔵嵐山駅 −0.5キロ・8分→ 農士学校 −1.5キロ・25分→ 武蔵嵐山 −0.5キロ・5分→ 遠山 −1キロ・20分→ 仙元山 −2キロ・30分→ 上古寺鍾乳洞 −2キロ・30分→ 小川 −東上線1時間半→ 池袋
徒歩行程:11キロ、3時間
費用概算:2円42銭(池袋−松山1円、松山−武蔵嵐山14銭、小川−池袋1円28銭)
註:吉見百穴は古代民族穴居生活の跡であり、崖に穿たれた数百の穴は奇怪なる古代生活の面影を今尚ありありと残してゐる。農士学校とは、魂を持つ農業家を養成する学校で、農事の実際を授けると同時に国学の真精神を伝授し新時代の農士として生きるべく真摯(しんし)な努力を続けてゐる。武蔵嵐山は比企丘陵の裾、遥かに東に走る松林地帯、槻川の清流に三方を囲まれた景勝の地。小川町は生漉き紙の特産地で、槻川に沿ふて紙漉き場があり、その素朴な生産過程は非常に興味深い。

『東京中心徒歩コース七百種』 朋友堂, 1941年(昭和16)3月

 『東京中心徒歩コース七百種』は、東京近郊のハイキングコースを「家族向」「一般向」「健脚向」に分けて紹介したガイドブック。家族向は大体10キロ以内、2、3時間程度の歩行コース。一般向は11キロより19キロまで、4時間乃至(ないし)7時間程度の歩行コース。健脚向は20キロ以上、7時間以上の歩行コースとなっている。
 当時は、ハイキングコースのガイドブックでも、 体力向上・先勝祈願を全面に押し出している。次の記事を参考にされたい。

 今、我国は、対外的に国内的に未曾有(みぞう)の難局に直面してゐる。非常時の声がこれ程真剣に、全国民の心の底から叫ばれ、切々身にしみる時代はなかった。我々は、挙国一致、不撓不屈(ふぎょうふくつ)、剛健なる精神もて、これを克服し、さらに前進しなければならぬ。
  今こそ、我々は強固なる肉体と精神を養ほう。何故ならば、この非常時克服に最も必要なるものは国民の心身の鍛練であるからだ。困難に処する堅忍不抜(けんにんふばつ)の闘争心、義に殉じて正道を濶歩(かっぽ)する中正の精神も、強固なる肉体からのみ生れ、緊迫せる難局を前に、自若として打開の道に邁進(ま いしん)し得る物は、独り鍛練された人のみである。
 我々日本人は、古来、鍛練的国民である。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)は、我国民の美徳である。日本の現在の地位を築き上げたのも、幾世紀に亘(わた)る同胞の隠忍刻苦(いんにんこっく)、撓(たわめ)ざる精神と肉体の錬磨から育成された国民性の賜でなくて何であらう。

体力向上、まづ歩かう!

 徒歩旅行は、あらゆる運動の中で最も簡単な、最も効果的な大衆運動である。
 それは、安らかな慰安を 與(あた)へ、又心身の鍛練ともなる。大自然は、明るい伸々とした解放を與へ、新鮮なる生活力を吹きこみ、明日への希望を育む偉大なる母胎である。この大 自然を道場として、太陽と土の恩恵を享受しつつ、母国を正しく認識する野外徒歩旅行こそ、現時局に適(ママ)はしき国民運動である。近時、澎湃(ほうは い)として全国的に起りつつあるこの野外運動を、より正しく、より強く普及する事に、かねて努力し来った本会に於ては、目的達成の一端として、茲(ここ) に、東京中心徒歩旅行コース五百種を刊行する事となった。短時日の研究であり、又、本の性質上、完璧を期す事は困難であるが、江湖(こうこ)の御賛同えお 得れば幸ひである。
 本書を編むに当り、多大の御盡力を賜った出口林次郎、木村正二、櫻井正一の諸氏に対し衷心(ちゅうしん)より感謝の意を捧(ささ)げて筆を擱(お)く。
          昭和十四年(1939)九月
               奨健歩行会

『東京中心徒歩コース七百種』「序文」 朋友堂, 1941年(昭和16)3月

人的資源の充実と歩行運動

 現代の戦争は、国策遂行の戦ひであり、従って武器と武器、兵と兵との戦ひといふ簡単なものではなくなり、国と国とが、その総力を挙げて戦はねばならないのである。戦争は宣戦布告の形式をとる事なくして始まり、平時であるか、戦時であるかの限界も判明せず、戦地か非戦地かの境界も明らかならずして、戦争が行なはれる。
 併し、茲に於て、欧米列強が、この現代戦の予想の下に、如何なる準備をなしつつあるかを見る事は甚だ興味がある。欧米列強の大部分は、あの世界大戦の苦しい体験に捉はれて、この準備を機械万能主義、物質万能主義に重点を置いて計画し着々実行中であるといふ。
 一発の弾丸が、高層建築物を粉砕し、その破片は、数人の尊い命を余りにも簡単に奪ひ去る。その威力、大戦時に於けるあの新兵器の猛威を目の辺りに見、脳裏に焼き付けられ、心から恐怖におののいた諸国は、どうしても、兵器、機械、即ち物質的威力といふものの前に頭があがらなくなってしまったのであらうか。
 彼等は、今、汲々として物的準備に全力を注ぎつつあるのである。しかし、この物的威力が如何に勝れようとも、それを運用する者が人間であるといふ事を考へる時、我々は、人的力の重要さを認めざるを得ないのである。
 物的資源も重要だ。しかし人的資源はもっともっと重要だ。国力、それは人的要素と物的要素の完全なる結合より生れるものでなくて何であらう。そして国力伸長の原動力をなすものは、物的資源である前に、国家の人的資源である。溌剌(はつらつ)と心身共に健康に輝く国民そのものである。
 欧米諸国は、余りにも物質的準備の確立強化に急なるあまり、この人的要素を閑却してゐる。ここに日本の狙(ねら)ひ処がある。
 欧米にかくの如き欠点があるならば、それを直ちに我々の長所たらしめて、彼等の一歩上へ出ることだ。即ち、人的要素を整備し、その実力強化を計ることだ。
 日本の工業力、経済力は、欧米に比して著しく立遅れて居り、物質的準備に於て彼等の優位に出る事は恐らく不可能事であるが、それ故にこそ、彼等の弱点である人的資源の拡充に邁進(まいしん)し、この点に於て彼等より絶対的優位を確保する必要がある。
 今や、我国には国民体力低下が叫ばれ、人的資源の貧困が喧(かまびす)しく論ぜられているが、この体力非常時を克服して、欧米に優るとも劣らぬ強力なる国民の体力を建設する事にこそ、現代に生きる我々の、一生を賭けての大使命が存してゐるのである。
 我国は、今、内外共に未曾有の非常時に直面してゐる。この時こそ、我々国民は自己の体力向上に努め、長期戦に耐へ得る人的要素の充実を計り、以て銃後国防の万全を期すべきである。
 国民体力の向上のため、種々の対策が計画されんとしつつあるが、その一つとして、国民体力低下の一つの大きな原因たる国民の運動不足を防ぐため、体育運動の日常生活化が取上げられてゐる。これは、国民大衆が日常生活の一つの必要条件として体育運動を行ひ、しかもこれが生活のレクレーションとなる事によって自づと体力を養ふ事を目的とするものである。
 現代、野球、庭球、ラグビー等々近代スポーツが素晴らしい隆盛を示し、レコードが年々向上しつつあるにも拘(かかわ)らず、国民体力は少しも向上せず逆に低下する一方であるといふ皮肉な現象は、夫等(それら)のスポーツが真に国民大衆のものでなかった事を示して居り、近代スポーツの発展が反(かえ)ってスポーツそのものを冒涜(ぼうとく)し、国民のスポーツ観念を誤れる方向に導きつつあった事実を指摘するに外ならないのである。
 この誤れる近代スポーツ観念を排して国民大衆のための運動、国民が何時、何処ででも、手軽に、愉快にやれる運動、所謂(いわゆる)大衆スポーツを、国民に与へ、国民生活の中に取入れる事こそ、目下の急務である。
 体操や歩行運動の奨励は、それらが、誰にでも出来る最も簡単な、普遍的な、しかも保健上効果の多い運動であり、大衆のための体育運動として最も価値あるものである点に於て、真先に行はれねばならぬものである。
 工場労働者、商店従業員、俸給生活者の大部分、いな凡(およ)そ都市生活者の大部分は、今迄この最も簡単な歩くといふ運動を忘れてゐた。機械文明の発達は、あらゆる交通機関を都市に集中せしめ、都会人は何処へ行くにも機械の足を借りて歩いてゐる。目と鼻の近距離をも、それ自動車だ、それ電車だといふ具合に歩くことよりも乗物を利用しなければ損だといふ様に考へてゐる。乗るために歩く。国民体力低下の一原因たる国民全般の運動不足は、都市生活者が歩く事を軽蔑し、自らの足を以て歩く機会を、段々なくして行った事からも説明出来るのである。国民の日常生活と切っても切れぬ関係にある歩行運動の復活は、最も手近かな体力向上の一途である。
 最近、サラリーマンや学生が自宅と勤務先、学校の間を毎日徒歩で通ふベンデル・クンデルングが盛んに奨励されてゐるが、サラリーマンや学生のみならず、家庭の主婦も女中も幼稚園の児童も皆一様に夫々、毎日の生活の中に徒歩運動をつとめて行なふ様になれば、ただそれだけでも、国民体力はどれ位向上するか知れないのである。
 併し、国民が煤煙(ばいえん)と塵埃(じんあい)、拘束と涸渇(こかつ)の都会に於て、冷たい鉄筋コンクリートと騒音雑踏の巷(ちまた)をテクテクと歩くといふ事には、興味も伴はず、厚生運動的効果は大してあがらない。都会ではあらゆるものが機械の手足であり、人間すらともすれば一個のゼンマイの様に機械的に動かされ易い。そこでは神経は針の様にとぎすまされ過労で綿の様になってゐても、尚身体は機械的に働かねばならぬのである。かうした都塵にうちひしがれつつ慌(あわただ)しくも非衛生的な生活を余儀なくされてゐる都会人の荒(すさ)んだ心身に、最も必要なものは、明るい、伸々とした大自然への解放であり、清新なる大気であり、泉の如く盡(つ)きる事なき新鮮なる生活力でなければならぬ。仕事の余暇を利用して、都会の喧噪(けんそう)と汚濁(おだく)を去り、大自然の真只中に飛出して、清らかなオゾンを胸一杯に吸ひ、燦々(さんさん)として注ぐ日光を全身に浴び、紫外線を吸収しつつ山野を跋渉(ばっしょう)する時、我々は歩くことの楽しさを沁々(ひしひし)と感ずる。野辺の草花は優しい微笑みをたたへ、森の小鳥は美しい声で我々を迎へ、人間社会の華美と浮薄(ふはく)の生活に汚された魂と肉体を浄化し快く慰めてくれ、滴(したた)る様な樹々の緑は、明日の活動に備へる新しく力強い活力を体内に蘇(よみがえ)らせてくれる。
 山や河や谷を遍歴して大自然の悠久(ゆうきゅう)の偉容に接するばかりでなく、又祖国の地理を探り、その自然を潤色(じゅんしょく)する歴史や伝説を知る事ほど、国土を愛する精神を培(つちか)ふものはない。まことに徒歩旅行こそは、都会生活者にとって、余暇の善用と健康の増進と精神の鍛練と知識の涵養(かんよう)とを兼ね備へた質実剛健の近代的旅行である。

『東京中心徒歩コース七百種』 朋友堂, 1941年(昭和16)3月
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