第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
武蔵嵐山(嵐山渓谷)
1930年代はハイキングが世界的に流行した時代です。日本では1937年(昭和12)7月7日の盧溝橋事件以降、日中戦争が拡大し長期化する中で、38年厚生省設置、39年体力章検定(スポーツテスト)、40年国民体力法公布。戦争に勝つための「体位向上」「心身鍛練」が叫ばれます。鉄道各社は国策に便乗し、割引運賃をセットして沿線の行楽地を健康と鍛練のハイキングコースとして宣伝します。ここに紹介する資料は、東武東上線沿線の観光パンフレットです。
吾等の信ずるハイキングの目的
一、大地踏占め史蹟を訪ね吾が血を知つて祖国愛を養ふ
二、心身の鍛練、修養
三、健康の蓄積古史を訪ねて 岩殿山脈めぐり
省線池袋駅より一時間で高坂駅に下車する岩殿山(物見山)まで約三〇丁。途中には坂上田村麻呂が大蛇を退治しその頭を埋めて池となり為めに蛙が鳴かないと云ふ不鳴池あり。尚足利基氏居住の史蹟や加賀爪氏累代の墓がある高済寺あり県の史蹟保存指定となつて居る。岩殿山は阪東十番の観音様で裏山が物見山で、つつじの名所と秋の柿栗と展望が良いので春秋家族連れハイクに最適である。物見山から森や田畑を抜けて松山へ出て箭弓稲荷、松山城跡、吉見百穴と将軍沢から武蔵嵐山へ行くコースであるが、この後ろのは松柏の林や小松原、山つつじも咲けば山百合、秋の七草も咲き殊に丘陵を縫ふ山道は実に朗らかで自ら出る口笛もいと軽い。嵐山は槻川の一大屈曲が小半島を為す河畔にして岩盤に松柏茂り春の桜山つつじ、夏の山百合鮎釣り秋の紅葉に良く山川の風趣教の嵐山に似通ふ。尚付近に源の義賢の廟木曽義仲産湯の井畠山重忠公の像等もある。
比企高地、地歴ハイキング
省線池袋駅乗車し武蔵嵐山駅に下車して畑道や森間の道を通って畠山重忠公の館跡に史蹟をたづね、木曽義仲の産湯の水に昔を偲び小川のせせらぎを耳にしながら鎌形八幡様に参じ風趣和ごやかな武蔵嵐山を通りて遠山に出づこれより槻川の流れに沿ふて山村を抜け道元山(丘)を越へて古寺の鍾乳洞を見学してバスで小川町駅に出る。鍾乳洞は内非常に広く多岐に亘つて居て未だ知られざるだけで毀損されず参考となる事大なりと信ず。
武人の守護神 鬼鎮神社
一、祭神 衝立船戸大神、八衢比古命、八衢比賣(売)命
二、場所 埼玉縣比企郡菅谷村(東上線嵐山駅下車)
三、割引運賃 往復一圓五〇銭
神社は稀なる珍社仙臺(台)伊達公の鹽(塩)釜神社と同じ。縁起は壹(壱)千七百餘(余)年前に發す。大神は神代より塞の神(厄除)で諸々の抂神(魔神)のおさへの神で且つ勇武にすぐれ武人の守護神として尊崇せらる。
霊驗灼かなる神話數(数)知れず明治の勤王志士の霊も厚く合詞【祀】さる信者は東都壹萬、地方近約を挙ぐれば十四五萬五千人にして月詣りの方亦尠からず。(冥加金三〇銭)祈願者へ特遇
特別奉仕祈願券を御希め下さい(東上線武蔵嵐山駅へ)
本券は大祓ヒ、肌身守、祈願守木札、御神酒(土器付)御供物を差上げます。このほか「二本木峠(公園)登谷山→釜伏峠→玉淀ハイキング 史蹟に富み三六〇度の展望と舟下り」「三峰と妙法ヶ岳めぐり 植物と伝説をきく」「越生高山、史蹟コース」「上武国境、宝登山、長瀞ハイキング」が掲載されている。
観光パンフレット 1930年代後半