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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第1節:景勝・名所

鬼鎮神社

埼玉(八)

節分には挙って 鬼は内! 鬼は内!
    まるで拷問部屋を見るやうな比企郡菅谷村の鬼鎮神社

 「福は内、鬼は外」は節分の豆まきに用ゐられる全国的共通語に違ひない……。鬼は悪魔としてわれわれの頭には幼稚園時代から桃太郎の鬼退治のお噺でこびりついてゐる。桃太郎の相手になった鬼ヶ島の鬼ばかりぢゃない。地獄の赤鬼、青鬼だって昔から坊さんどもの宣伝(?)で悪魔だと、爺さん婆さんの腹の底までもしみ込んでゐる。

 ところが鬼でなければ夜も日も明けぬといふ地方があるから面白い。節分の豆まきにも「鬼は内」といはなければ福の神が逃げ出してしまふとあって、一村挙って「鬼は内、鬼は内」と大声で怒鳴りたてる。東上線の停車場のある比企郡菅谷村がそれだ。この村の総鎮守は同村大字川島にある村社鬼鎮神社で、すべてをしづめるといふ鬼を祭ってあり、御神体は昔噺の絵本で見るのとそっくりの金棒である。鬼に金棒といふ言葉はここから出た言葉だと村人は信じてゐるらしい。

この神社に参詣する人は必ず鬼の金棒を奉納する事になってゐるので神社の境内にはこの金棒のみをつくって生活してゐる店が数軒もある。神社の周囲は全部各地から奉納した金棒で囲まれ、大きいのは長さ一丈二尺、五尺なんてのもあり、境内の至るところ鬼の金棒がゴロゴロしてゐる様は童話の鬼ヶ島乃至は地獄の拷問部屋へ行った様な感がある。この村へお嫁さんやお婿さんに行く人は節分に「鬼は内」といふことを夢忘れてはいけない……でないと話がむづかしくなるといふわけ。

 遺憾なのはこの村の福代りの鬼は赤鬼か、青鬼かはっきりしないことだ。どうでもいいやふなものの、社掌さんに聞いて見ると「サァ」といって言葉をにごすばかり。門前に売ってゐるお絵馬に赤鬼と青鬼が並べて書いてある。

『東京日々新聞』埼玉版 1928年(昭和3)8月29日
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