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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第1節:景勝・名所

鬼鎮神社

川島鬼鎮神社は寿永年間秩父二郎畑山の重忠【畠山重忠】公菅谷に城郭設備の際、方位の上より東北の隅は鬼門に相当するを以て鬼門除けと唱ひ並に衝立船戸神【衝立久那止命(つきたつくなどのかみ)】八衢比賣神【八衢比賣命(やちまたひめのみこと)を勧請奉祀せるものにして、爾来陰暦三月九月の十五日を例祭とす。図中に示す華表(かひょう)【神社の鳥居】は日露戦争に際し数万の守護札を無料配布せしを以て東京■講社より凱旋後奉納せられ、三月十五日の例祭を兼ね上棟式を挙行せられたるものなり。華表の下に佇立(ちょりつ)【たたずむこと】せるは社掌高橋信久氏及令子(れいし)【令息】佐久氏なり。

『埼玉新報』1906年5月13日

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『埼玉新報』1906年5月13日

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