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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第4節:平成

平成の大合併

市町村合併を考える1

●市町村の合併って、どういうこと?

 「市町村合併」とは、いくつかの市町村が一緒になって大きくなることです。
 でも、それだけではありません。

●合併によって、市町村は力強く生まれ変わることができます。

 私たちがこれからも安全に快適に暮らすことができるように、必要な住民サービスを維持、向上するために行う「行政改革」の方法のひとつです。
 私たちの暮らしが広域化している現代社会では、まちづくりをバラバラに進めてもなかなか効果が現れません。合併して地域全体で力を合わせれば、限られた貴重な税金を有効に使い、住民サービスを向上させ、まちづくりを効果的に進めることができます。

●市町村合併には、「新設合併」と「編入合併」の2つに分けることができます。

 新設合併(対等合併)は、A町とB町を廃しその区域をもって新たにC町を設置する場合をいいます。(イラスト左)
 編入合併(吸収合併)は、D町を廃し、その区域をE町に編入するような場合をいいます。(イラスト右)
新設合併・編入合併|図

●市町村合併の沿革

(1)明治の大合併
 明治20年から22年にかけて、明治政府は戸籍制度や小学校の事務が処理できる近代的な地方行政制度を当時の町村に導入するため、300から500戸を標準として、全国一律に市町村合併が実施されました。これにより、埼玉県においても明治9年におよそ1,900あった町村は、約5分の1の409に減少しました。
 本町においては、明治17年、古里・吉田・越畑・勝田・広野・杉山・太郎丸の7カ村が七郷村に、菅谷・志賀・平沢・遠山・千手堂・鎌形・大蔵・根岸・将軍沢の9カ村が菅谷村となりました。
(2)昭和の大合併
 戦後、新憲法下で地方自治の確立が大きな課題となり、昭和28年から31年にかけて、中学校を合理的に運営できる規模であるとされた人口約8,000人を標準として町村合併が進められました。その結果、埼玉県においても323あった市町村数は、ほぼ約3分の1の109となりました。
 本町においては、昭和30年4月には、七郷村と菅谷村が合併して菅谷村となり、さらに昭和42年4月には町制を施行し町名を「嵐山町」と改めました。
 今後も市町村合併について、連載していきます。また合併についてのご意見もお待ちしております。

問合せ 役場 企画課 企画振興係 【内線省略】

嵐山町広報『嵐山』125号 2002年(平成14)7月1日
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