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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

結婚相談室だより

 十二月四日開かれた結婚推進委員会では、農家の嫁不足の原因とその対策について、次の諸点が話し合われ、嫁が喜んで来られる態勢を、村民の理解と協力を得てまず確立すべきであるとの意見をまとめ、村長より、これら意見に対する村の方針が述べられた。
 原因として考えられることは、
 一、農家に公休日がない。
 二、嫁の小遣が少ない、所得の分配がない。
 三、労働が過重である。
 四、私設放送局が多くて、嫁の噂が話の種にされる。
 五、若夫婦の別棟か別室がない。
 六、男女交際の場がない。
 七、隣接町村へのPRの不足。
 右【上】の対策として、
 農家の公休日については、年二回の農休をはじめとして再検討し、実行するようにしたい。
 私設放送局については、村として、親ぐるみの話し合いをすすめ、これを改善するようにしたい。
 男女交際の場を村として考える。若夫婦の別棟を作る場合には、その資金について村農協の協力をねがい、その利子を村で補給するように検討してみたい。
 報償金を交付された仲介者並びに記念品を交付された方々は左記【下記】の通りです。
仲介者 〔3名。氏名略〕
記念品 〔6組と1名。氏名略〕
 結婚の申込みは従来地区委員に、結婚相談の申込みは、教育委員会の相談室となっていたが、今后は地区委員に申込まれてもよいことになりました。
 又、農業後継者だけでなく、どなたでも申込めることになっております。
 地区委員は左記【下記】の方々です。
菅谷 関根昭二 島本圭三 根岸忠与 山岸乃婦子 木村平六 青木孝
川島 森田与資
平沢 奥平美太郎
遠山 栗原弥之助
吉田 島田忠治 小沢静子
越畑 青木義夫 市川武市 市川紀元 塚本智導
太郎丸 奥住清

『菅谷村報道』164号 1966年(昭和41)1月20日

関根茂章菅谷村長は、1965年3月11日定例村会の昭和40年度施政方針演説で、「農村対策は本年特に農業後継者対策を強化する。今日農村に残っている青年は自治体の稀少価値であり、農村振興にはこれら青年の奮起と情熱と力にまたなければ果し得ないものがある。本村の農業について私は都市近郊経営類型の発展を目論んでいる。」、「又、結婚相談室を設け、行政力をさしのべて共々に悩みを解決したいと考えている。」と農業後継者対策に力点を置くことを述べた。
この年の具体的な施策としては、5月27日、結婚推進委員等17人が参加して、「結婚相談室設置要項案」、「結婚推進委員会規約案」を審議可決。同年末、12月4日には12人が参加して結婚推進委員会を開き、この間の活動の成果を報告すると共に、「後継者の結婚難の解決策について」審議した。

翌66年3月末日までに結婚相談室へ斡旋申込をした者と取扱者数の合計は31人、その内、農家後継者又は他村の農家後継者と結婚した者14人、申込者で結婚した者は2人であった。
また村外の東秩父村役場、川越中央公民館、東松山市役所、比企郡市公民館協会、北海道茅部郡(かやべぐん)南茅部町(みなみかやべちょう)役場(現・函館市)、熊谷市新生活互助会から照会があり、農村後継者の「結婚難」の広がりがうかがわれる。

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