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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

論壇

政治は遠い将来を見よ

愛と道義の行政とは何か(一)

予算の特色は何か

 四十一年度予算は三月の定例村議会で可決された。予算総額は九千八百七十万余で四〇年度当初予算額に比して約四百万の増であるが最終予算額に比すれば約六九〇万の減である。本年度は法人村民税が一千百万減となるが地方交付税二四〇〇万の増収を見込んでいる。
 予算中で一番多く比重を占めているのは総務費で二四・八%、次に多いのは教育費の一八・八%でこれは前年度より約五%減っているが、その他全体的に各款をみると前年度と殆ど大差ないことが分る。総務費は人件費や消費的経費によって占められているが、これらの問題を検討してみると、予算の中に占める人件費の割合はどのくらいになるであろうか。人件費として考えられるものは報酬、給料、職員手当(議員を含めた期末勤勉手当、扶養手当、通勤手当、時間外勤務手当など)、共済費、旅費、賃金、報償費などで、人に対して支払はれる金額である。この合計は四二〇〇万円で四二・七%となる。
 また消耗品費、食糧費、郵便料、燃料費、光熱水費、電話料、通信費など使用により消えてなくなってしまう費用の合計は二九〇万で二・九%である。但しこの中には学校関係の分は含まれていない。また負担金補助及び交付金のように他の団体などに対して支払はれる金額は、一二七〇万で一二・九%である。これらを合計すると五七九〇万となり五八・六%が村の消費的支出となるわけである。従って残りの約四千万が学校、土木、産業などの投資的経費に充てられることになる。予算の特色というか村政の重点施策というか、要するに政治の姿勢はこの点に発揮されるわけである。
 この意味で本年度予算の特色は遠山、串引の道路だけであろう。

数次的根拠を示せ

 予算書の作成に当って疑問と思はれる点を次に述べてみたい。これは事務的なことで大幅には影響ないことである。
 第一に税収の説明が精しくない。村民税の場合、均等割、所得割の金額だけしか説明されていないが、これは均等割の一人当りの金額二〇〇円で人数何人、調停見込み額幾ら、所得割は課税所得金額幾らで平均税率何%、調停見込額幾ら、収入歩合何%、収入見込額幾らとすべきである。
 滞納繰越金も三九年度以前が幾らあって、四十年度が幾らで収入歩合何%で収入見込額が出されなければならない。
 第二に負担金と補助金が入り乱れていると思はれる点がある。例へば選挙啓発費補助金が県補助金となっているが、これは国庫委託金ではないのか、国民年金事務費は県補助金となっているが、これは国庫委託金ではないのか、国民年金事務費は県補助金となっているが、これも国庫委託金ではないのか。国民年金事務費は県補助金となっているが、これも国庫委託金ではないのか、また事業所統計、商業、工業統計などが国庫委託金となっているが、これは県委託金となるのではないか、監査委員はこれらの点の真偽を明確にすべきである。

道路行政の確立こそ急務

 本年度予算の特色というべきものは村長の云うように遠山と串引の道路であろう。幅員五メートルの道路が遠山は延長一二八三メートル、串引は一六五〇メートルで、いづれも一千メートル以上であり、然も村の中心から遠い地点の道路である。
 こうした道路が拡幅され整備されることは政治の一進歩であろう。
 然し考えてみなければならないことは道路行政に対する基本的態度の確立ということである。思いつきのように今年はこちら、ということではなく、一貫した方針が望まれるのである。遠山も串引も本村にとっては云はば行き止まりの道である。拡幅をするにも曲折をとるにも障害となるようなものがすぐには現はれそうもない所である。従ってこういう処は用地の買収に難しい問題はないであろうし、年月が経っても著しい変化は起こらないであろう。然し今日急速に発展している菅谷の市街地を考えてみた場合、そこには一刻もゆるがせにできない問題が横たはっているのである。建物は次々に建てられて居るのに道路は一向に整備されていない。下排水も深刻な悩みとなっている。このような地域の道路をどう処理しようとしているのか。
 人間が生活する上において住む家を建てる場合、まづ問題にするのは道路と水である。水については公営水道が引かれ殆ど不便はなくなった。然し、水道を引くのに、すぐそばまで水道が来ていながら、すでにその水道管が一杯になっているため、その人は新たに本管から引いてこなければならない場合、たまたまその家が最初の一軒だとすると十万円前後かかることになる。これでは公営水道の有難味は全然ないわけである。また新しく土地を求めた地点が水道管の埋設された箇所から離れている場合も相当の費用がかかることになっている。このような条例は速やかに改めるべきではないだろうか。水道管は道路に沿って村費で埋設さるべきであり、個人の負担はこの道路から自宅に施設するまでにすべきである。人が現に住んで居ようが居まいが水道管は縦横に張りめぐらされていなければならない。政治は遠い将来を見て今日の行政を行うべきであり、そこに愛の政治も具現されるのである。  (関根昭二)

『菅谷村報道』167号「論壇」1966年(昭和41)4月30日
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