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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

村長選挙に際し 村民及び村議会に望む 地区感情を払拭せよ

 年月は波瀾の山河を越えて満四年の歳月を流れ去り、幾何(いくばく)もなく新秋九月を迎えようとしている。−過去の幾多の感慨を秘めて発展の歴史を刻む我が菅谷村の首長を決定すべき秋(とき)が−
 然し我々の最も身近な住民の福祉に決定的な関係を持つ菅谷村長の改選を前にして村民の個々がはっきりした自覚とその権利を行使する責任を感じ取っているだろうか?
 殊に新村菅谷村建設は今は亡き高崎村長の後を受けて、青木現村長の二期八ヶ年の撓(たわ)まざる着実の努力と識見に依って、地形の不利、住民感情の相異を克服し、歩一歩前進を続けて此処に第一段階を終了した。
 然し其の最終年に於て、故内田武市氏の不慮の事故は実に悼ましい限りであって、村民等しく悔恨の涙に咽(むせ)ぶと共に深く同氏の冥福を祈った次第である。正しく此の事は村長に取っても又村民の全てに取っても、一大痛恨事であったと云はざるを得ない。
 当時の村当局及村議会の示した態度取られた処置に就ては、此の事を一大教訓として、更に更に菅谷村発展への決意を覗(うかが)うに足るものとして、大多数の村民から容認せられ解決を見るに至ったのであった。
 然るに昨年十月新に村民の輿望(よぼう)を担って廿二人の村議が誕生その後現在に至る約十ヶ月我々村民の希望と期待を満(みた)すに足るその成果と選良たる自覚と態度に於て稍(やや)不満足を表明せざるを得ないのは極めて残念であると云はざるを得ない。
 世上流布せらるる処の事柄が果して事実なりとせば、清き一票を投じた我々の代表は我々の希望に反して、村政史上に一大汚点を刻みつつあると断言してはばからない。村民の一員としてその事実にあらざる事を祈ると共に村民の間に議会不信の影響を多少なりとも与えたと云う事について、現時点に於ける議員一人一人の反省と決意及議会の態度について、鮮明にする必要を痛感するものである。
 私は真に菅谷村民の個々の幸福と菅谷村の愈々第二段階を迎えて輝かしい発展を熱望する為にこそ村民各位及議会に対して次の諸点について要望したい。
一、先づ地区感情を払拭する事である。
 来るべき選挙についても多少その感なきにしもあらず、特に要望したい。尚その為には将来、新村名(新町名)の決定も大なる要因と考える。
二、来るべき村長選挙については現在迄の行掛りを一擲(いってき)して真に首長として我々の希望を担うに足る人を全村的視野に立って選出したい。此の為には特に議会に於ては全員一致の行動に於て其の方途を探求されたい。選挙のみならず全ての分野に於て議会の円満なる運営は政治の根底としなければならない。
三、出来得るならば或る隣接町村に見る処の血で血を洗うが如き選挙を避けられたい。無駄な金力と労力の浪費に依って公明選挙と村の前途を絶対に汚してはならない。
四、万一宴会と酒に直結する村政であったならば絶対に排撃したい。今こそ新らしい時点に立って清明なる村政の前進に刮目(かつもく)せられん事を望む。
 以上痛感する処の一端を述べた次第である。故内田氏の霊に応え合併以来の菅谷村の発展に心肝を砕いて来た、歴代村長及議員諸氏の功に深く謝意を表すると共に、此の重大なる秋(とき)に当り村民一致団結して、村民個々の幸福を築く為にも将来又大菅谷村の進展の為にも緊褌一番(きんこんいちばん)対処せられむ事を要望するものである。
中村常男(社会教育委員 古里)

『菅谷村報道』154号 1964年(昭和39)8月1日
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