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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

 五月三十一日で退職した前助役小林氏は、退職の所感を本紙に寄せて次のように述べた。氏はこれを以って村民の皆さんに対する御挨拶にも代えたいと希(ねが)っている。よって左【下】に紹介する。

助役はただの事務屋でいいか
            小林博治

 昭和三十一年(1956)のことである。報道に、「時の人」という欄を設けて、関根昭二君が、人物評論の筆を馳せた。その七月号に、「助役になった小林博治氏」という標題で私を論評し、その一部に「彼はお世辞の云えない性質であり、理知的に物を考える方である。だから世間的な人気はそれ程ないが、事務的手腕は認められている。……
 助役は村長のような政治家ではないので、特に自己の抱負を実現させるというようなことはしていないが云々」といっている。これは肯綮に中っている*1。それで私は、今、十七年という長い勤めを終り、関根君の批評通りでしかなかった過去の行迹*2を振りかえって、果たしてこれでよかったのであるかどうかと反省した。
 そして偶々(たまたま)今繙読*3中の書物の中に、一国の大臣、宰相たるものの職分を論じて「事務は大臣に取って枝葉である。大臣の職務はもっと根本的に、それ等の事務に由って生ずる所以のものを正さねばならぬ。国民全般の生を養い、秩序を立て教養を高めねばならぬ」とあるに逢着し、正に冷汗三斗、多年の迷夢を一時に醒まされた思いで驚倒*4した。つまり関根君のいうように「政治家ではないから自己の抱負の実現は計らない、事務的手腕は認められている。」ということで助役の責は果たせると考え、何かのはずみに地方新聞などで、名助役だなどとおだてられると、いっぱし助役気取りで生意気をいったりした。
 然し、為政者たるもの、一村の助役たるもの、単なる事務やでは、いけないのである。村民全般の生活を充実し、社会の秩序を正し、■■の教養を高める政治があってそこに始めて事務が生じ、これを処理する事務やが必要になって来るのであるから、根本は政治であり、事務は末である。
 だから古来為政者の参考書として、推重された「貞観政要(じょうがんせいよう)」の註に、昔から大臣宰相といはれる人も、とかく国の大事に暗くて、単なる「刀筆の吏*5」つまり事務やに堕してしまったものが多いとし、その事務やになってしまう理由として、第一、経国済民*6の略がないと事務にしても精出していれば職に勤勉なように見える。
 次に、明君が上にいて、到底頭が上がらぬ時やむを得ずコツコツ事務に没頭する。又、特別の才能があるわけではないが、長年事務に慣れて、鰻上りに地位を得たものであるから、事務に専念するより外に法がない。等をあげている。
真に痛い話である。経国済民の略がない。上に明君を戴いて手も足も出ない。格別才能はないが長年の慣れこでやっている。といづれも私にピッタリのようである。
 こんな訳で、退職の挨拶状に「尸素十七年」という言葉が出てきた。「漢書」という史書に「今朝廷ノ大臣、上ハ主ヲ匡ス能ハズ、下ハ以テ民ヲ益スル無ク、皆、尸位素餐*7ス」という件がある。尸位は仮りにその位につくこと、素餐は空しく食べること、実力がなく何もしないでその位にあることを尸位素餐といい、尸素(しそ)はその略である。
 飾りではない。尸位素餐は私の実感である。
 然しそれにも拘らず無事に愉快に十七年という長い年月を勤めさせて貰った。本当に有難いことと感謝している。そして実はその愉快であったということと有難いという気持ちが、今度の退職の決意の根拠となったのであった。
 ただこう書くと、稍々逆説的になるので、少し説明を要すると思うが、この説明をはじめると長くなるから、これは別の機会にゆづり、今は、ただ右の反省だけに止めることにする。
          昭和三十九年(1964)七月十三日記

『菅谷村報道』154号 1964年(昭和39)8月1日

*1:肯綮に中る(当たる)(こうけいにあたる)…物事の急所をつく。要点にぴたりとあたる。
*2:行迹(行途)(こうと)…通って行く道。また、この世を過ごして行く道。
*3:繙読(はんどく)…書物をひもといて読むこと。
*4:驚倒(きょうとう)…非常に驚くこと。思いがけないことに出会って驚くこと。
*5:刀筆の吏(とうひつのり)…文書の記録の仕事をする小官吏。書記。身分のひくい役人。小官吏。小役人。古代の中国で、竹簡(ちっかん)に文字をしるすために用いた筆と、その誤りを削るために用いた刀。日本でも木簡の使用で、刀の必要があった。
*6:経国済民(けいこくさいみん)…国家を経営し人民を救うこと。経世済民。
*7:尸位素餐(しいそさん)…才徳や功がなくて位にあること。職責を果たさないで、いたずらに祿を得ること。才能も人徳もないのに位についていて、むなしく俸禄を食(は)むこと。出典は『漢書』朱雲伝。

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