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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

論壇

村議に当選して

 私、今回皆様の御支援に依りまして村議に当選させていただきました。今後宜敷御 指導御協力をお願ひいたします。去る四月の各種選挙を見まして実にお祭り騒ぎなのに驚きました。何とかこれを改めなければならない時期になったのではない かと、常に考へておりました。今度の村議選【10月11日投票】に各地で立候補のおくれたのも、これが一つの原因と思います。
 私、はからずも遠 山、千手堂の皆様から推薦されましたので、重大な決心をいたしました。選挙の時期が水陸稲の刈取、大豆の収穫等、非常に農家にとって忙しい時期であるこ と、遠山、千手堂には東京方面に働きに行ってゐる方が沢山ゐること等の点から、私が立候補した為に、大勢の皆様に御迷惑をかけてはならないといふ考へか ら、私の選挙運動の為に晝間の時間を使わないこと、夜一、二時間やっていただくことといふ条件を推薦者の皆様に申上げましたところ、御承諾下さって選挙に なったわけです。
 その為に私の運動の為に作物の収穫がおくれたといふことはなく、私の家でも選挙の為に仕事がおくれたといふことはなかったわけ です。実に静かな農村にふさわしい選挙でした。私はこの結果がどう出るか楽しみにして開票の結果を見守ってゐました。幸ひ皆様の御理解ある御支援によっ て、私の予期しなかった沢山の票数で当選させていただきました。此の次の選挙からは私の理想とする選挙が菅谷村一円に広がって立派な人材が続々立候補され て、菅谷村が理想郷となることを祈って止みません。
 よく明るい村を作るといふ事を申しますが、むだを省いて心豊かな生活をするのもその一つだと 思います。今回の選挙に一方ならぬ熱意を以て私を御支援下さった遠山の部落では、色々と生活改善事項を申合せてよく実行されて居りますが、その中で誰にも 申合せが守れて実行すれば必ず明るい村になる一項目があります。それは病気全快祝の廃止といふことです。本当に簡単なことです。遠山では病人が出来た場 合、病気見舞は出来るたけのことをして、病人を心から慰め、全快した場合は、部落内だけは絶対に全快祝はしないことといふ申合せをして、今日実行されてゐ るそうです。これが菅谷村全域に実行されたなら実に明るい村が出来ると思います。
 どこの家庭でも病人が出来て入院でもすると大変な費用がかかる 上に全快祝のことが一苦労です。冠婚葬祭の簡素化の申合せは誰でも一生に一度のことですから、親も子も出来るだけのことはさせたいし、したいといふのが人 情です。方々の地区で申合せをしても中々実行されてゐない様です。病気は一生の中に幾度もかかる方もあるのですから、全快祝は全廃したいものです。これは 菅谷、七郷両地区の婦人会が手をつないで実行を申合せたなら、明日からでも実行出来ることです。村外は例外とすればよいわけです。婦人会の皆様に是非お願 ひしたいと思います。
 就任以来明るい村の建設を提唱されてゐる青木村長さんが、病気全快して目出度退院された由ですが、率先範を示して頂きたい と思います。然し村長さんの場合は色々な事情もあるので実行困難かもしれませんが、私が立候補を決意した時の決心があれば、必ず実行出来ると思います。
 私、議会に出まして真面目にやること、うそをいわないこと、これだけは村民の皆様にお誓ひいたします。今後皆様の御協力御支援をお願いいたします。

(村議 瀬山修治)

『菅谷村報道』105号「論壇」1959年(昭和34)11月10日
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