第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政
菅谷村
自民党支部結成に就いての批判を読んで
先々月の報道で、菅谷村自民党結成に対する、船戸君の批判を読んで、かつて読売闘争に参加して=地方でもこんな頑強な闘士がゐるかなあ=と中央の同志を驚かした程の豪のものだつたが、矢張年は争えないなあと思つた。しかしそれは老いたと云ふ意味ではなく寧ろ円熟して農民運動に対する考え方が板についてきたと云う事である。
『菅谷村報道』103号 1959年(昭和34)9月10日
土地解放後の農民運動の方針も無論変つてはきたが兎も角、保守は保守、革新は革新として始めから、はつきりと踏切つて闘争を繰返してきたのであつたが。解放後の地主の中には小作人より寧ろ窮状に追込まれたものも少なくない。実際には五十歩、百歩の間隔しかないと云つてもいゝ。けれどもそうした地主の中には昔日の夢を追つて、保守であるとか、自民党であるとか云つて、革新勢力を締め出そうとしているが、それは大きな誤謬であつて農民の場合は地主と言われた人達も亦小作人も現在の様な国家権力を掌握してゐるものは云う迄もなく共同の敵だと云う事になる。例をあげるときりがないが、最も目先きの問題として、農民の生産物は自からつけた価格でうれるものは一つとしてない。いつもパリテー方式だとか何んとか云つて、政府のつけた価格で売渡さなければならない。早く言えば自分達の都合の良い相場をつけて持つてゆかれるのである。
これは誰れでも知つてゐることで、そして不平を並べてはいるがその不平不満を行動に移してゆかないで諦め主義によつて引下つている。しかも、自分の生産品を自分の力で価格をつける事のできない、おさづけ価格であまんじてゐる農民が全国民の三十七%も占めているのだから甚だ心細い三十七%の農民が結集して立上つたら、それは怒濤の様な大きな力となつて、何物でも圧倒する事ができるのである。農民は容易に立上らないどころか、自己の生活が窮迫してくるに従つて生活水準を引下げてバランスをとつてきたのが今迄の農民だつたのである。
今日迄、社会党の基盤だつた総評ですら、農民に比較すれば僅かに二百四十万にしか過ぎない。
故に農民は自己の生活の安定をかちとる為には船戸君の云つた様な、僅か千数百戸の村で自民党だの社会党だのといがみ合つてゐる事は余りに幼稚な考え方であり従つて資本主義陣営の望むところである。去る五日の朝のラジオ放送で。本年度内のドルの取前は神武景気以上だが、しかしそれは、日本商品の品質の問題ではなく、価格が低廉だからであつて、その原因は農産物を安く買上る事によつて労働賃金の上昇を防ぐ為の手段であり、従つて生活の窮迫した農民が都市に労力を売りにゆけば、それは過激な労働であつて、しかも賃金は最低である。と云つてゐた。
こうした原因は農民に団結力がなく、バラバラで結集しないからである事は云う迄もない。だから船戸君の云うやうに政党政派によつて争つてゐる時でないと云うのである。
(村議 高橋 亥一)