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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

論壇

今次選挙に於ける関根氏の批判に対する卑見

 先月号報道に寄せられた、関根氏の今次選挙に於ける所論に対し聊(いささ)か卑見を申述べて、識者の御批判を仰ぎたいと思ふ。先づ第一段に於ける教委選挙に対する同氏の所論は私も全く共鳴共感に堪へない所である。人為的工作に依って教委選挙を無投票に終わらしめた事は如何にも非民主的であり、又農村の封建性を遺憾なく暴露したものであった。五名の立候補者が各々所定の届出を了し堂々馬を陣頭に進めてゆえい【輸贏】を決せんとする直前に於て、一部人士の策謀に依り其の圧力に依って辞退を余儀なくせしめたる事実は周知の通りである。
 之を以て村の平和を維持し得たりと誤信するに至っては其度し難き頑迷固陋(がんめいころう)悲しむべき封建性、全く呆(あき)るるの外はない。当時村議選酣(たけなわ)にして其の立会演説会に於て某候補の如きは、恰も一大殊勲を樹立したかの如き口吻(こうふん)を以て無投票に終らしめたる経緯を得々として弁じ乃公(だいこう)出でて村の平和始めて成ると云った様な素振りであったが全く以て恐れ入った次第である。戦後ボスなる新語が生れて其封建性、其横暴、其権力に依る圧迫が普(あま)ねく世のヒンシュクを招き、識者の非難の的となったのであるが、今回菅谷村教委選に於ける之等一団の連中の策謀こそボスとしての代表的なものであらう。
 我々は今後かかるボスの蠢動(しゅんどう)を断固排撃し、真の正しい選挙、明るい選挙の遂行の為に全力を挙げて努力すべきである。此の意味に於いて、関根氏の所説は我選挙民に対する一大警鐘であり、頂門の一針であった。
 次ぎに第二段における地域推薦に対する所論であるが、是は純理論的に云へば正しいのであろうが、実際的に考察すれば一応之も止むを得ないのではなかろうか、農家の主婦、選挙権に達して間もない青年子女、社会的な接触に乏しい一部の人たち等々、之等の人達は同じ村内でありながら、はっきり知って居るのは村長さん位のもので、其外の他部落の人は顔を見知っているが名前は全然知らない又、名前は聞いた事があるが顔は知らないと云ふ様な人達が案外多いものである。
 関根氏云ふ所の候補者の人格、識見、政治的情熱を考慮して、自己の判断に基いて貴重の一票を投ぜんとするには、矢張り自分の住んで居る部落の信頼するに足る人物を推薦するより外ないであろう。
 私は地域推薦必しも不可なりとは思はない。実際的に見て最も妥当な方法なりと信ずるのである。県会にせよ、国会にせよ、大なり小なり選挙区を定めて行って居るのであり、今国会の如き、選挙法を改正して小選挙区制とすべく、目下立案計画中との事であるが、又故なきにあらずと思ふ。私は従来の慣行に依る推薦方式を以て一応妥当と認めるものである。
(出野 好)

『菅谷村報道』65号「論壇」1955年(昭和30)12月20日
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