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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

論壇

選挙を顧みて

 今度の選挙には考慮せらるべき二つの点 があった。その一は教育委員の無投票当選であり、他の一は村議候補者の地区的推薦である。民主主義は住民の地方自治政治への参加として住民による直接選挙 の方法を認めている。選挙とは投票を意味する。投票なき選挙は選挙の名に値しない。教育委員の選挙が一部の村議や区長達の話合いによって無投票になったこ とは、選挙民から選挙権を剥奪したものであり、民主主義に対する重大なる反逆であると共に選挙民に対する最大の侮辱である。選挙民は選挙権を行使すること によってのみ政治への意志を表明することができるのである。教育委員に誰が立候補したのか分らず、況んや如何なる教育的識見を有するものであるかも知らず に教育委員が決定されることは、それが如何なる理由によるにせよ甚だ遺憾なる事実と云はざるを得ない。吾等は、選挙のもつ意義と選挙権の重大さを反省する 必要があるだろう。
 次に村会議員の選挙について考へさせられたのは多くの候補者が地域的な推薦制をとったことである。二三の部落がまとまって候 補者を出したり、一部落で、一組で、候補者を出すということが行はれた。従って、その部落なり、組なりに居る人は必然的にその候補者を支持することを余儀 なくさせられたわけである。教育委員の場合にも都幾川を挟んで川の向う側で一人こちら側で一人立候補者を出すということが決められたが、村議の場合には更 に道を境にして、この地区は何候補に投票するというようなことまで決められたようである。こうしたことは本来自由な意志によって行はるべき選挙が干渉と支 配とを受けることであり、好ましいこととは云へないであろう。憲法第十五条には「すべて選挙における投票の秘密はこれを侵してはならない。選挙人はその選 挙に関し公的にも私的にも責任を問はれない。」ことが明記されている。然し農村の如く隣近所が非常に密接な関係にあり、日常の接触も多いところでは部落な り組なりで決定された候補者に反対するには非常な勇気のいることであり協力しなければ村八分的な目にもあいかねない結果ともなるであろう。かくては主義主 張に拘泥(とらはれ)ることなく革新系の候補者を保守系の人が熱心に運動したり、保守系の候補者を革新系の人が夢中になって応援することにもなるのであ る。村議が部落の代表者たるの観を挺するのも亦故なきことではない。
 選挙が『選挙人の自由に表明する意志によって』行はれるためには選挙に対す る認識をお互いに高めることが必要であろう。それぞれがそれぞれの立場に立って、候補者の人格、識見、政治的情熱を考慮して自己の判断に基いて貴重な一票 を投ずるようにしたいものである。候補者を推薦する場合には、その候補者を支持する同志の人達だけが相結束して運動をすべきであろう。
 村議選挙は、村民の政治への直接的な意志表明の手段なるが故に、他の選挙には見られない異常な熱意が漲っていたのは喜ばしいことであったけれども、そこには又行き過ぎもあったのであり、これらの点は、選挙民の自覚と反省により理想的な選挙に近づけたいものである。
(関根昭二)

『菅谷村報道』64号「論壇」1955年(昭和30)11月20日
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