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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

旧菅谷村・七郷村

サンフランシスコ講和条約記念特集

第二次世界大戦において日本は1945年(昭和20)に降伏、連合国の占領下に置かれました。

1951年(昭和26)9月に調印された「サンフランシスコ講和条約」により、連合国による占領は終わり日本の主権が認められ、正式に日本と連合国との間の戦争が終結したのでした。

この「サンフランシスコ講和条約」調印を受け、菅谷村ではアンケートを実施。『菅谷村報道』で住民から寄せられた意見の特集が組まれました。

講和記念特集〔アンケート〕

一、氏名
二、公職その他
三、よりよい村にする為の具体的方策

 想ひおこせば十一年前の秋、國を挙げての大祭典が展開された。紀元二六〇〇年を寿ぐ世紀の祝典である。菊花薫る日比谷の原頭に蝟集(いしゅう)せる朝野の縉紳名士も紅葉散る山間の陋屋に日の丸を掲げた無名の民草も誰がその後十年間の世の転変のはげしさを予想し得たろう。必勝不敗の態勢から無條件降伏へ、今又希望の首途へ、余りにもはげしい世の移り変りに、民族にも歴史にも、希望も建設も、あらゆる人の営に対してすつかり自信を喪失し、この十年間に國民思想にも大きな変化が齎(もたら)されたやうである。果してさうか。それは長い歴史のみがこれを知る。然しここに掲げた二十余篇の論説は、このはげしい世相をくぐり抜けた人々が果してどの方向に動いて行くか、それを示唆する貴い指標である。何故なら今や漸く我々は自らの目で見、自らの心で考へ、自らの口で喋る時期に到達したと考へられるからである。論説中に見られる過渡期的溷濁(こんだく)は読者の良識により払拭(ふつしょく)せらるべきものである。


一、松浦博 菅谷十八才
二、松山高校三年
三、菅谷村でなすべき事柄はまだまだ多くあつてそれを枚挙すればかぎりありませんがその一つ二つをあげてみませう。例へば村の公民館、娯樂設備、衛生問題等があります。この中で直接私生活に関係があるのはなんと云つても衛生問題でありませう。一口に衛生問題と云つても色々ありませうがまず第一になすべきは蝿蚊退治でせう。然しそれは個人々々で行つたのでは絶対に出來ないと云う事は多くの人々の経験してゐる事思ひます。やはり村のあるいは区の仕事として行うべきであります。その方法としては特別の衛生委員を設けて一週に一度ぐらい戸別に巡視して便所、下水、豚小屋等を消毒する事にして村民は極力これに協力し一ヶ月に一度ぐらいは日を定めて村民全体が各自の責任に於て下水等を掃除したならばよいと思ひます。この様にして蝿蚊の居ない村や町を作つた所は全國では何ヶ所もあります。菅谷村も是非そうしたいものです。
私達の村から蝿や蚊を徹底的に駆逐したならばそれ自身が文化生活に一歩でも近づいた事になります。そして住みにくい此の世の中をすこしでも住み良くする為に村民がこぞつて協力しようではありませんか。


一、森田與資 川島四十六歳
二、民生委員
三、講和々々待望の講和は締結され我が國は漸く独立することが出來た我々國民は大いに祝福して止まぬと同時に茲に認識を新たにし日本人としての覚悟をせねばならぬと思ふ。言ふ迄もなく我が國の前途は多事多難なものがある自衛権の確立賠償問題人口問題食糧問題等々枚挙に遑(いとま)なく國際情勢の如何によつては大なる犠牲を払はねばならぬと思ふ。だが私はこう言ふ國家的問題に触るるものでなければこれら大問題は先人に託して先づ自分を省み自分の家を視(み)自分の部落を知り、自分の町村と先づ自分の周囲を知ることが尤も大切なことではなからうか國の細胞たる町村が堅実でなくては國家の繁栄は望み得ぬものと思ふ。
茲(ここ)で菅谷村を良くするにはどうしたら良いかと言ふ事を考へる時私は教育であると言いたい。そして其の補助機関なるPTAにお願ひする。言ふ迄もなく今迄の教育は先生任せ学校任せであつた、それではならぬ如何しても学校と家庭が一体とならねばよい教育は出來ぬと言ふ見解から教師と父兄の会(PTA)が組織され、幾々が過ぎたが果して全般の方々がPTAを理解されて居るだろうか特に家庭に於ては婦人の力に依る処が大きい。父兄とし母姉としどれだけ理解し認識されて居るだらうか。疑はしいものである。
されば真に理解させその有りかたを知らせるには字毎に懇談会等数多く開きお話しすることが尤も効果的ではないかと思ふ。されば先生諸兄の一段のご努力をお願ひしPTA本來の道を進みたいものである。


一、出野好 志賀五十六歳
二、村会議員
三、敗戦後の我國は國土の四五パーセントを失い而も人口は八千万を擁し十年後にはやがて一億に達せんとする趨勢である。昔ならば之を國運隆々たるものとして大いに中外に誇示する処であるが、今は敗戦國のかなしさ、限られた四ツの島にとじ込められて此のぼう大なる人口を如何にすべきかゞ頭痛の種となつている。されば朝野の識者の間に於て此の問題がさかんに論議されている事は、つとに世人の知る処であるが之が対策として産制が取り上げられているのは誠に尤もな事である。これはたゞに國家問題であるばかりでなく各個人の家庭に於ても真劍に考ふべき事であると思ふ、昔から貧乏人の子沢山とゆう諺があるが多産の家庭が如何に経済的に苦しんで來たかは我々の身にこたえて見聞し且体験している事である。我々農村の中産以下の家庭に於いて特に然りである。かかる家では明けくれ食ふ事のみに没頭し教育等も閑却せられ只々子供の養育丈が精一杯で、ほつと息つく間もなく尊い一生を終つて了ふのが今の世である。是が人生なりと締観【諦観】すべきであろうか、否こんな意味のない一生は人生ではない。そこで私は識者の口真似をする訳ではないが声を大にして産制を叫びたい。良い子を少く産んで丈夫に育てる計画産兒、これこそ我々の最も理想とする処である。産めよ殖せよとか又子供は授かり物だから仕方がないと矢鱈に生み出して無意味な苦しみをする時代は正に過ぎた、私は先ず子供は三人位が適当だと思ふ。結婚後五年目に一人宛生む様にすれば生活にもさしたる支障を來たさず従つて十分な養育が出來るから親子共に幸福である。宜しく自分の好む時に生み欲せざる時には造らない事である。かくする事によつて國家百年の大計にも順應し又自己の幸福をも招來する唯一の手段ではなからうか。かゝる方策は國家が取り上げて実施すべきは勿論であるが先づ手近な処で村あたりでも一應考慮に入れて何等かの手を打つのも決して徒事でないと思ふ。例えば保健婦をして各家庭を訪問せしめ、性知識を啓発して、正しい避妊の方法を授け、しかも節度ある性生活を営ましめ、或いは婚姻の届出に対し御祝ひとして相当量の避妊藥を贈呈するなど面白いと思ふ。又藥店と提携して避妊藥及び用具の半額購入券を発行し民生委員の手に依つて無償交付するなども妙であろう、之を要するに人間は衣食足りて礼節を知る動物である、彼の終戦直後に於ける怖るべき様相も衣食たらざる動物本能の一断面ではなかろうか、生活にゆとりがあれば自然精神的にも余裕を生じ即ち謙譲の美徳を備えた最良な國民となるのである。
斯く観じ來れば産制を実行する事に依つて國民個々の経済破綻を防ぎ、民生を安定し、生活を向上せしむる事が出來るのである。産制こそ救國の根本であり、平和の基調であると云つても過言ではないと思ふ。
卑見を述べて大方識者の批判を俟つ次第である。


一、高橋亥一 志賀五十七歳
二、村会議員
三、村をよりよくやつてゆこうと云ふ事は講和以前にくらべて一層容易でないことは云ふ迄もない。まだ講和と云つても各國の批准が済んでゐる訳ではなく、それは早晩解決するとしても、その後に來る問題は國家の政治経済にどう響いてくるかと云ふことである。
第一に東南アジヤ諸國との関係、此島【比島(フィリピン諸島)ことか】、濠州、ビルマその他の國から多額の賠償の要求も考えなければならない。然しそれを米國が如何に調整してくれるかである。更に外債の仕払援助資金の返済等。弗不足の現在亦將來を如何にして仕払得るか。政府は自立の範囲内で仕払ふと云つてゐるが、果してそれに先方が應じ得るどうか、侵略をうけた幾つかの國が日本の再軍備を不能ならしめんとする意図から多額の賠償を要求してくるかも知れない。第一次大戦後のドイツが賠償仕払の為に百十六兆億マルクと云ふ通貨の乱発となり、従つて大インフレとなり、新通貨切替の直前、二十三年の十月二十日には一弗の相場が実に四兆二千億マルクと云ふ全く想像もつかない迄に暴落して通貨は殆ど無價値のものになつてしまつたのである。
故に政治経済と云つても講和後の問題である。資源の乏しい我が國が、若し貿易の何十パーセントを賠償、外債、援助資金等に振向けなければならないといふ場合、果して我が國の経済はどうなるかと云ふも考えなければならない。然し亦それ以前に爆弾の洗礼をうけるやうな場合がないとも言ひ得ない。それこそまさに誤破算【御破産】である。
こうした國家の興廃を決す如き重大な問題が重績してゐる。國家の一細胞たる、一町村はその一挙一動によりて直に明暗となつて響いてくることは云ふ迄もない。故に末端の指導者は興へられた範囲その枠内を巧に運営すると云ふ外にないと云つても良いのである。只具体的に云ふならば政府の行政整理の尻馬に乗りて予算の何十パーセントにのぼる人件費の削減、それに付随する冗費等に充分検討考慮すべきである。
一方農業経営の面から云ふならば現在の無計画経済による過剰生産時代(多角経営)にあつては多少危険をおかして尖端をゆくか、或は殿(しんが)りをゆくかである。然し最近は尖端と尖端がぶつかり合ひ、殿りと殿りとがぶつかり合つて結局採算破れの生ずる場合が少なくないのである。然し斯く行き詰つた農村も國際狀勢の如何によつては、或は再びインフレの波に乗つてバツクする時がくるのではないかと思ふ。それは兎も角拡大再生産のきかなくなつた資本主義の末期時代に何等かの一大変化が起こらない限り自滅への一途を辿ると云ふ以外にないのである。故によりよき村をつくる具体案と云つても狀勢の変化に対應し善処すると云ふ事であると思ふ。


一、水野利男 志賀二十二歳
二、青年團文化部長
三、農村には今尚迷信因習が多くこれらが如何に保険衛生に惡影響を及ぼして居るか、これら迷信因習を根本から打破し正しい衛生知識を普及しなければならぬ事は郷を同じくする誰もが心を痛めて居る問題であると思ふ、昨年今年に於ける傳染病の発生は郡下でも、上位にあると云ふ不幸な結果で有る。
無医村であれば、まだしも他村に例を言【見】ない。医院数立派な医師が居る本村に於て病人の続出は何を意味するか。この最大の原因たるや各戸各人の衛生に対する知識の足りぬ為と云つても、敢て過言ではないと信ずる。此の機会に是非婦人会の活動を希望する。衛生知識の普及は主婦であり、子供の母親である。皆様にお願ひする普及の一方法として立派な医師が居られるのだから各医院を訪問して、四季に多く発生する病氣の種類、家庭で出來る手当等お伺しパンフレツトを作製、これを各戸に配付し病氣の早期発見に、手当に役立たせ、合せて一般の衛生知識の向上を計り明るい家庭、愉しい村にする様共に努力すべきだと思ふ。


一、山田巌 平沢二十五歳
二、なし
三、國民待望の講和條約は締結された。然し乍ら國民熱望の講和はこのやうな安保條約主講和條約従のものでなく交戦國全部との真の講和一本槍であつたのである。斯(かか)る講和後に於ける政治経済上の問題誠に軽視すべからず。講和により國民経済、國民生活は安定と向上の一途を辿るかに樂観視する者少しとせず。然し事実はその逆を行くと考へて敢て過言ではないであらう。今や講和インフレは必至の狀態にあり國家財政又窮迫の度を加へつつある政狀の下に於ては地方自治行政も複雑至難イバラの道の続きである。世間の流言はいざしらず今消防ポンプ購入に見らるるが如き軽卒なやり方は戒しめねばなるまい「失敗は成功の元」褌しめかえ堅実な行政を願ふ者である。今や終戦後の農民景氣は何処へやら……農産物價の後を追つた諸物價は農産物價を尻目に上昇の一途を辿り之と逆に農産物價は下向きの形勢にある、米麦の統制は外れんとしてゐる。斯る今日程経営の合理化に迫られていることはないであらう。真劍に考ふべき秋(とき)である。経済の健全性は収支の均衡であることは云ふまでもない。一町足らずの農産物に依る現金収入は見るべくもない。ここに農業と一番関連深い畜産の方途を見だすことが出來る。酪農、養豚、養鶏により現金収入の道を打出しそれに依り出來た堆肥の金肥の節約を計ることが可能であり牛乳、卵等は特に農村に事欠く栄養の補給源となり一石二鳥の効果を収め一年生計費の何割かを占める医療費の節減を計ることも出來る。幸にして当地は立地條件に恵れ有畜農業の前途又は有望と云ひたい、人間は総て共同の社会に住む郷土を愛することは人間の常なり教へ教へられてよりよき社会の健設【建設】へ。


一、高橋正忠 千手堂四十七歳
二、國保運営委員
三、わが菅谷村をより美しく住みよい豊な村にするために私は次のようなことを考へて見た。具体的な方法は心ある有志で会合し話し合つて研究して行きたい。一、農業生産を高めること。(1)適地適作の研究 (2)品種の改良 (3)施肥の研究 (4)土地の改良 (5)農業の機械化 (6)農業技術の向上 (7)農業経営の合理化 (8)農業の協同化(協同作業協同経営協同炊事等)二、家庭生活の改善。(1)衣生活の改善(合理的作業衣の研究普及)(2)食生活の改善(誰れでも出來る而も理想的な献立表をつくつて各戸に配付、農繁期に特に必要)(3)住生活の改善(勝手、風呂場、便所、井戸、作業場)(4)リクリエーシヨン(健全娯樂)(5)衛生と健康の問題(部落又は旧隣組単位に村内の専門家を招いて講演会等)(6)家庭経済の研究(家計簿を付けて計画的に)三、各種委員会並に團体の活動と村民の協力 (1)農業委員会(増産と村経済樹立)(2)選挙管理委員会(民主社会における選挙の重大性を徹底)(3)民生委員会(村に不幸な人間をつくらない相互扶助の精神を徹底)(4)農業協同組合及び生活協同組合は定款により最大の活動 (5)婦人会(家庭改善と婦人の向上)(6)青年團(堅実な思想と協同の精神)(7)4Hクラブ(健康と知性と技術と精神を尊び増産運動をなす)(8)文化会(農村文化の向上のため復活することを望む)四、設置を要する機関。(1)公民館(図書館の併設)(2)托兒所(部落だけで農繁期だけでよい)(3)映画館(企業を目的としたものでなく社会教育と健全娯樂を考慮したもの)(4)観光施設により村経済を負担する方法。


一、瀬山修治 千手堂四十六歳
二、村会議員
三、待望の講和はすんだ然しお隣りの支那印度等は不参加、賠償額のきまらない何となく不安な講和である。吾々に課せられる責務の重大さを痛感する今後平衡交付金の減額は予想され村民負担の増大は覚悟しなければならない。これに対しては村民の一致協力こそ村づくりの推進力である生産の面に於ては労働力を検討して高度に利用すべきである。戦後急激に盛んになつた酪農はこの現れで立地條件に恵まれた本村では尚一層増加すべきである。養豚養鶏等の家畜も増加すべきで本年より僅かながらこの方面の助成を始めたが非常に有効と思ふ。家畜の増加は自然生産量を増加する土地改良の事業は農業発展の基礎である従來実施して居る農道改修の補助に加へて出來る限り助成し生産條件を改良すべきである。文化面に於ては公民館を設置し文化生活を向上すべきである。小中学校の施設に対し出來得る限り予算を計上し、生徒兒童の教育に遺憾なく力を注ぐべきである。次の世代をよりよくする為に。


一、吉野ナヲ 千手堂四十五歳
二、婦人会役員
三、私達此の度恐れ多くも皇居を拝観さして戴きました事は村民の皆様の御蔭と深く感謝致す次第で御座います。此の旅行に付きついに家庭に反対され不幸にも希望を満たす事の出來ぬ婦人が沢山御有りの様でしたが、少しは親としての理解を以つて戴きたいと思ひます。此れに反して此の節の嫁はどうも姑を何んとも思はず却つて姑の頭に登らんばかりの態度をする方が有るなどたまたま聞き入れる場合が御座います。私は唯今では姑でもなければ嫁でも御座いませぬが、どちらが良惡しとも言ひませぬが私が考へましては親有つて初めて子ですから一歩降つて親に随つて鄭重に取扱つたならばお台所の改善に付きましても氣持よく可愛い嫁の為にはある程度の理解を以つて戴けるのではないでせうか?菅谷村婦人会が生れたのは遅かつたですが、講演講習会を開き洩なく出席して他に敗けない婦人会を育て上げたい事を希望する次第で御座います。


一、瀬山芳次 千手堂二十八歳
二、消防分團長
三、時間の厳守 村の会議或は部落の集会に於て、一時間若しくは、二時間位遅れなければ、会議を始める事が出來ないのが現在の狀態である。そこで、召集した者は必ず、定刻に定めた場所に行き、一人でも二人でも集つた人員に関係なく、定刻に会議を始める遅刻した者には、既に議決した事に対して異議の申立は出來ない事とする。極端過ぎるかも知れないが、これ位にやらなければ、時間を守る事は出來ないと思はれる。
二、國旗の掲揚
 日本古來の傳統を生かし、國土発展の為國民の進むべき目標として、祝祭日に戸毎に國旗を掲げる事は講和後の日本國民としての義務であると思ふ。


一、山下欽治 鎌形四十二歳
二、村会議員、農業委員
三、先づお互の心を豊にする事である。如何にその智識が発達しても心が貧困であると決して良い結果となつて現れない。それには各人が信仰を持つ事である。こゝに云ふ信仰とは所謂御利益本意の宗教に対する信心ではない。神の存在を確信し、聖哲の教を守り、國家社会に盡した人に対し崇敬の念を持つことを正しいと信ずる信念を謂ふ。
信仰の確立、是が高揚の為には色々な事が考へられるであらう。たとへば國旗の掲揚とか各神社寺院の祭事の振興とか、又は宗教人の宗教活動への協力とか、時に永年荒廃してゐる菅谷城跡の忠魂祠を復旧せしめ、年一回位盛大に祭祀を営む事等、祭典祭祀は一面村民の慰安、娯樂の行事たらしめる様に心掛ける事も大切である。
二、次は経済生活の向上である。一般的なことは先ずおいて廣く社会的に何かの特産物のある所は概してその経済も豊である。当村でも何かの特殊な産物があると良いと思ふのだが、どうかその道の人達に大いに研究してもらいたいと思ふ。 是は私のほんとうの思ひ付きだが——何かの團体が中心となつて、各家庭で二坪か三坪のフレームを作り切花の栽培をして、是を販路を研究して共同出荷したらどんなものかと思ふ。勿論それには栽培上特別の技術家の指導を必要とするが——花を作ることそれ自体が情操の育成であり、平和的で然も何処の家庭でも出來る事だと思ふ。そうして是が村の特産物となり、花なら武蔵嵐山の花と社会に知られる迄になつたならば以て経済的にも必ずや得る処大であると思ふ。


一、杉田二三雄 鎌形三十五歳
二、なし
三、私達が事業を計画し之が具体化する場合いつも一大難関に逢着するのは資金面に於てで有る。如何なる名案賢策も資金の面を閑却し、その裏付がなければ一場の夢物語と化してしまふ。村の事業でも同じ事が言へる。
扨(さ)て興えられたテーマと合致せぬかも知れないが、幸に私は日頃から雄大なる構想の下に理想郷建設の具体案を計画中で有るが本村の現狀では、勿論実現不可能な事で有り痴人の夢と冷笑される位が関の山で有るからその全貌は、後日機会を得て発表するとしてその一環たる、実現の可能性濃き二三を挙げてみな様の参考に供したい。
先づ第一に公民館の建設で有る、本件については村議会の議題となつてゐるやに仄聞(そくぶん)してゐるが一日も早く実現させてほしいもので有る。そしてこれが運営は識者にお委(まか)せしその成果を期待するものである。
第二に甘藷を原料とする加工場の建設である。本村は縣下でも有名なる甘藷生産村で有りながら澱粉工場も酒精工場もなく甘藷は原料用として比較的安價に売却される加工場建設の場合は生産過剰の時でも商人に買叩かれる心配はなくなり農民の利潤は倍加されて農民の生活向上の為に村がそれだけ明朗になる。
最後に希望するところは全村各字に一個又は数個の電話の架設で有る。殊に鎌形將軍沢遠山等は、役場、農協等より遠く離れて居る為に、電話で事足りる簡単な用件でも一々出掛けなければならず農繁期や惡天候の時は非常に困難する。又電話は、防犯、防火や病氣の時の保険衛生上にも火急の場合利便この上なく、利用範囲も廣いものです。
電話の架設により連絡は緊密となりスチーム村政は自ら実現する。以上三件とも実現の可能性濃きとは言ひ乍ら冒頭に述べたように、莫大なる資金が必要で有り又法規其の他細部の点は考慮してない、然し一つでも実現すれば理想郷へ数歩前進する事は信じて疑はない。


一、長島近治 鎌形三十二歳
二、衛生役員
三、明るい村、よりよき村を礎くのは何時も我々の理想とするところでありますが、さてどの道を歩んだのが一番よいのでせうか。各々の皆違つた御意見により色々の道があると思ひます。私は先づ健康から明るい家庭が生れ、明るい村が礎かれるを信じ、一片の衛生の面を申上げまして皆様の御批判を仰ぎ度くペンを取りました。私達勤労者が日常生活して行く時、何時如何なる時が一番樂しく又幸福でせう。それは先づ健康で有る時だと思ひます。たまに病に罹り床の中に臥つて居る時などつくづく働く樂しさがわかります又家中に病人有る時は何んとなく憂鬱で心配計りが先に立つものです。まして夏季に於ける傳染病程恐しいものはありません。是を防ぐには常に各人が注意して蝿や蚊の発生を防ぐと共に時折部落に本村医師の傳染病に対する予防座談会を開き一般の注意を促して戴きたいと思ひます。本年も春季清潔法前に殺虫剤を分配致しました。そして数回に分け撒布して戴く様お願いしましたが、面倒と思つたのか間違て撒布してしまつたのか一度に撒いてしまつた人も有る様です。是れでは貴重な藥がなん度分かたゞ捨てられた様なものです。「それだつたら衛生役員が撒いて歩け」と云ふ方が有るかも知れませんが、皆さんよく考えて下さい。自分の為でもありまた人の為でも有ります。こんな細事を怠つたため病氣になつたとしたらどんなに近所の人が迷惑するでせう。一昨年も昨年も村から三十名余りの患者が出ました松山保健所管下でも一位か二位を示す程の傳染病患者の発生率だそうです。こうした汚名を一日も早く挽回する様皆さん今年こそ衛生に注意致しませう。


一、簾藤惣次郎 鎌形四十三歳
二、大河中学校長
三、講話締結は表面的には主権を回復し独立國家として國際社会の一員として復帰したが、その一面、政治、経済、思想文化と世界の荒波の中に押出された。日本農民の將來に容易ならぬものがあると思ふ。一例を取れば日本農民一人で一・九人の食糧生産するに対し、アメリカ農民は四三人分の食糧を生産すると云ひ、東南アジアの農民は日本農民の三分の一の生産費で米を作ると云ふ。量的にも、生産費の点についても是等他國の農民と自由競争をしなければならぬ立場にある日本農民の將來樂観したものではない。又現金収入の大宗たる生糸が人絹、スフ、ナイロン、ビニール等々合成化学繊維の現狀及び將來を考へた時、まさに古典繊維の感を深くするものである。是等化学繊維と養蚕業の競争を考へた時、相手に不足はないと云ふことが出來るが農民の前途は決して樂観は許されない。いかにして困難を打開し、よりよい村作りをするか?
一、農村はもつと知性を尊重しなければならぬ。
一、旧來の陋習弊風を断呼【断固/断乎】改め生活を合理的、能率的、科学的に切り替えること。
一、消費経済を切りつめ、生産経済に注入して再生産を盛にするよう指導する。


一、星野堆三 鎌形三十七歳
二、前村会議員
三、敗戦後六年、待望の講和條約は締結された義なりと信じて私心を断ち國歌の為に盡された幾多の追放者は解放され、村には新校舎夙(つと)に落成を見、近代的色彩と優秀なる性能を有する消防車は要所に配置される等日々新たなる文化的形態を整へつつある村の現狀こそ誠に喜ばしい限りである。 此の発展途上にある村を、より良くするには如何なる事をしたらよいか?。
其の方途には種々あろうが私は限りある紙面に於て、脚下三寸、常に離るゝ事なき道路の修正改造を協力一致推進せしむる事こそ最も身近な緊要事ではないかと信ずる。社会共通の道路の現況は、其の他住民の公共観念、徳義心の盛衰を端的に示すものではなかろうか。
私は講和後の菅谷村をよりよくする一環として、主要道路はもとより、道路上の障害物をも併せて除去し、よりよきより明るき村たらしめんことを切望して止まない。斯くて道路の完備は知らず村の中央を中央とし生産物の搬送に、連絡に、或いは火急の場合等日常享受する利益は、計り知れないものがあらうと信ずる。実に道は文化の指標であり尺度である。


一、新藤唯一 大蔵四十六歳
二、玉川中学校長
三、待遠しかつた講和條約の調印も終了した。秋空高く日の丸の旗高くかゝげて、村民老若男女校庭に相集り、村民体育大会の樂しい一日は終り家に帰り子供達と対抗継走の選手になつた娘が追越したことなどほめ合つて夕食をすました。
子供達は運動会のつかれで、いつもより早く眠つた。
自由に日の丸の旗を高くかゝげる誇り、國際的にも自由になる喜び、しかし援助資金の打切り、人口の多すぎるのをどうするか、再軍備問題等仲々簡単には解決できないことばかりである。この問題は村の問題としては、農村恐慌にも、二男三男をどうするか、中小学校施設の充実等と関聯をもつてゐるのである。これ等のことの解決する方法を考へて行かなければならないが今まで受けた旧い教育だけでは新しい時代を作ることは困難であらう。これ等のことを解決するため村民が教育を受けるために、公民館の設立促進を希望する。公民館には教養部、図書部、産業部、集会部等あつて、教養部は村の人達が希望してゐること知らなければならないことについて教育計劃をたてる。図書部は部落まで出張して読書会を指導するとか、産業部は各種産業の科学的指導を担当する。集会部は村民体育大会、討論会、映画会、音樂会等開催し、豊かな村、樂しい村をたてる基になる仕事をするのが公民館である。


一、福島新三郎 根岸四十四歳
二、社会教育委員
三、義務教育を了へて高等学校へ進学しない子供の教育機会の開設。
小学校中学校と九ヶ年の義務教育を卒へた子供達がどんな教育の機会をもつてゐるだらうか。昔、実業補習学校という夜学の補習教育制度があり、中古晝間の教育制度に変り、戦時中、青年学校というこれも晝間の教育制度があり、地域やら時代の要求に應じて教育の内容や学期に於いて変遷があつたようだが、こゝ数十年義務教育を卒へた子供の補習的教育が当局者に於て本氣に考へられ実施され、教育効果に於いて見るべきものがあつたことは、一般人の認めるところであつた。
さて終戦後のこゝ数年間はどうであろうか、小生の見聞する範囲では女子の場合には裁縫を主とした自己教育が補習的に行はれてゐることを充分認めてゐる。和裁が洋裁と昔とすつかり変つてはゐるらしいが、依然として裁縫一点張りではあるらしいが、その反面男の子の場合はどうであらうか。親達としてどんなふうに考へてゐるのだらうか。或は忙しいにかまけて考へてゐないというのが本当ではないかとさへ考へさせられる。終戦後、男の子も女の子も頭の先から足の先までずい分御立派になあつてゐるらしいが口をついて出る話をきいてゐると物足りない感じがしてならない。これを誰がやるかどんな教育内容を何時するか近頃言はれてゐる公民館の運営とも関連する問題だらうがこれで筆を止める。この開設の急務であることは先刻報道に発表された育英奨学金制度にも優先する村の教育行政ではあるまいか。


一、小沢庚市 根岸二十八歳
二、農業委員
三、結論は身を修めたる金持にならなければならない。先づ身を修めたるこのことに付いて私の言はんとするのは自己の尊重心であります。世人から金持であると言はれても自己の尊い事を忘れ又一家和合ならざれば有名無実である。次に「金持」これは誠にむずかしいことであります。言葉で言ふ如く速かに金持になれば誰もが苦労はないのであります、どうせ苦みの娑婆である。大いに苦しみ、大いに樂しむ心の持主でありたいものです。今々世情を観察するに益々農村は困難を感るのであります。此処に於て我々農家は興へられたる耕地を愛し、一粒でも沢山収穫しなければならない時になりました。土地改良、品種の選択、栽培技術、自給肥料の増産等益々慎重の度を加へなければ立派な実を結ぶ事はできない。此処に於て私は家畜を持つ農家でありたい酪農養鶏養豚でよし肥料を造りつゝ傍に於て利益を見る有畜農業を希望する者であります。


一、根岸茂夫 根岸二十六歳
二、なし
三、私の考を一、二記して見たいと思ひます。
一、自己の完成 終戦後あらゆることにつきまして民主々義自由主義といふ言葉は種々の人々の間に流行語の様に使はれて居りますが、果して民主々義自由主義の真の意義を理解し己の為すべきこと義務責任を果して居るものが幾人居ることでせうか。只々自己の権利のみを主張し他人を批評し己の行動責任をかへりみない所謂自己主義、斯様な人の我が村に存する限り我が村は明朗なる樂しい村としてまだまだ程遠いのではないかと思ひます。互に社会道義自分一人だけの村ではないと云ふことを深く反省自覚し自己の完成に努めませう。
一、婦人会に望む こゝに菅谷村婦人会が結成され過去種々なることにつきまして活動してきた様でありますが今後一つこういつたことを考へて貰へなからうかと思つて居ります。それは現在に於ける青年層は何と云つても時代の波に乗つて居り新しき社会、新しき生活へと邁進して居ります。しかし乍ら過去長年月に亘り斯の封建的社会、独裁的環境にあつた所の老壯年層この方々に対しての現代民主社会自由社会の認識徹底であります。よく聞く言葉ですが「婦人会なんて若い者が入れば良い、もう年寄はそういつた会には意味ないから」といふことを言つて居る様でありますが、これは大きな誤りであります。一家の運営は老壯年層によつて八、九割は支配されて居ります。この年輩の者の若い者に対する所の理解これが無い限り新時代に芽生へんとする青年は知らず知らず萎縮してしまい、文化國家建設どころか昔乍らの理想。主義に染まつて自然と消極的になつてしまふではないでせうか。先づ婦人会は青年層に呼びかける前に斯様なることを一考せられまして老壯年お互に時代々々を良く認識し共に歩調を合はせて進めます様御努力御盡力を御願ひ致し度いと思つて居るものであります。


一、出野硯屏 志賀六十一歳
二、國保係長
三、健全なる村財政の確立 いくら立派な抱負経論があつても財政が不健全では実行に移すことは出來ない。村財政は村民の負担である税収入によつて賄はれるので納税成績が挙らねば健全財政の確定は期し難い、よつてその対策として各部落に十名乃至二三十名単位の納税組合を創設して納税意議【識】の昂揚に努め「税を納めなければ村は決して良くならない」という村民個々の自覚を喚起することが肝要である。
 二、農地交挨【換】分合の断行 農村を豊かにするには生産の増強以外にない、それには農地を集團化し無駄な労力を省かねばならぬ、土地改良法による農地交換分合がそれだ、政府はその普及宣傳に大童であるが末端は極めて低調で政府の笛に少しも躍ろうとしないのは遺憾だ、農業委や農協或は篤農家の奮起を要望してやまない。
以上の外衛生行政の徹底、教育の刷新等々幾多挙げたいことがあるが紙面に制限があるので後日の機会に譲ることゝする。


一、金井宣久 大蔵二十三歳
二、報道委員
三、画期的な教育制度改革の根幹をなす六三制の実施は、賛否を何れとしても多岐多様の教育資料に依る日々のその学業は往時を回想させ、憧憬の思を禁じ得ない。明朗濶【闊】達な生徒の素振りに前途の幸福をひたすら念じている次第である。而して希望科目を専攻的に学ぶ個々の生徒の能力は一様には進まないものと思ひかゝる時代の教育者の煩問【悶】も深いものと察せられるのである。そしてこのかく教師と生徒との学業を考へるとき家庭に於ける保護者の頭の切り換へが切望されるのではないかと思ふ。今日各種報導【道】網に依る時代の啓蒙運動も盛んとは言へ、一般がとかく無関心なのが何時も遺憾な問題とされる。たとへ小さな事にも関心を持つやうつとめ、これを実行に移すならば成果は大きな期待を持つことが出來るのではないだらうか。家庭に於ける新聞雑誌への関心もどの程度深いものがあらうか。日々の継続的な経営に原因することもあらうが、結局は自分からの意志が必要なことは論を待たない。ここに私は大衆への慰安として又時代の啓蒙運動として映写会の催を希望して止まない。学校には放送や映画観賞会の時間が興えられ社会智識の勉学にその一端を利用して居る由であるが、この方法は村人に対しても有意義なことゝ思ふ。吾々も既にナトコ映画その他の機会に接して居るが、かゝる予算を多くして老若男女それぞれに対し日常生活の詳細な指導や國際的なニュース劇映画等により変転極りない世情を知らせたなら、啓蒙慰安に大きな價値あることと思ふ。映写の事業を多く計画することは、経済的より観て大きな負担になることゝ思ふが、一部の人々を除いては、常設館での観賞が出來ないとしたら多少の費用を出し合つてもこのような事業が望ましいと思ふ。映画に依り時代への認識が深まり希望が開かれて、日毎営々として労を惜しまず、それが人々の樂しみとなれば、一日々々何か氣持のみでも新しく感じさせられるやうになるのではなからうか。

『菅谷村報道』17号 1951年(昭和26)11月10日
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