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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

旧菅谷村・七郷村

 嵐山町でも2002年(平成14)4月から、町立の幼稚園、小学校、中学校において、全ての土曜日を休業日とする完全学校週5日制が実施されていますが、『菅谷村報道』1号(1950年4月)に、「五日制について」という記事がありました。「昨年来から時々耳にする五日制とは何か」という解説です。学校5日制が実際に菅谷村内で実施されたかどうかは不明ですし、埼玉県内の事情もわかりません。

五日制について

 昨年来から時々耳にする五日制とはなにか。今迄は学校で児童が授業をするのは月火水木金土の六日間でした。それを五日制で月火水木金の五日間で土曜を家庭で教育すると云うのです。但し六日間でする授業時数は五日間でやりますから、児童の学力の問題については心配はなく、それに学校の行事は土曜に催しますから、実際には六日制と内容には変化はないものと思われます。
 なぜ五日制にするのか
一、児童に一律に教育するだけでなく、児童が自分で又仲間と協力して教師のもとで自ら問題を解決して行く。社会人として自分の問題を処理して行く能力を養成しなければならない。
二、児童が良き社会人となる為に学校の教育だけでなく家庭にあって家庭人としての教育を受ける時間が充分なければならない。
三、教師がよき教師として児童に対するには再教育と研修をしなければならない。土曜を再教育の研修に使う再教育は実施中です。

『菅谷村報道』1号 1950年(昭和25)4月20日

 東京都豊島区立目白小学校のホームページに、「戦争が終わるとみんなと一緒に勉強できるようになりました。しかし校舎が完全になおっていなかったため,焼け跡での青空教室も一時行われました。また,週5日制で,週に一度は食料休暇といって,畑をつくったり買い出しに行ったりと,まだまだ食料が十分にあるというわけではありませんでした。教科書は,墨塗りの教科書で歴史の本などはほとんど読めない状態でした。」とあり、敗戦後のヤミや買い出しの時期に週5日制が実施されていたようですが、「食料休暇」とはまた違う意味で1947年(昭和22)から1952年まで学校5日制が実施された学校が各地にあったようです。
 「五日制」が実施されていた時期がわかるのは以下の学校です。
・1947年5月3日〜1952年3月31日 太田南小学校(秋田県大仙市)
・1947年10月〜 秋田北高等学校(秋田県)
・1948年1月14日〜 上川大内中学校(秋田県由利本荘市)
・1948年(度) 木更津第一小学校(千葉県)
・1948年〜1952年 青木中学校(長野県小県郡青木村)
・1948年5月1日〜 屋代高校(長野県)
・1948年11月〜 上久堅小学校(長野県飯田市)
・1949年(度) 日本女子大学付属豊明小学校(東京都)
・1949年4月12日 新潟県教育委員会、県立高校「5日制」全面実施決定。
・1949年6月1日〜1952年度 新潟県立三条中学校・高等学校(新潟県)

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