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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

旧菅谷村・七郷村

村会傍聴の記

〝全面か単独か〟國会議員さながらの大論戦

 (三月十三日第三次追加更正予算の日)
 この日ほど明白に然も公然と自己の思想的態度を表明した村会は未だ嘗てなかつたのではなからうか。村会議員が國会議員に早変りしたのではないかと疑はれるほどの白熱的論議が闘はされた。村会のことに関してもかう熱心であつてくれればいいがと感じたが………
 この日追加更正予算案の村長説明は極めて簡単で僅か十分、議長及び村長の交際費増額はすでに議員の了解を得てゐますので説明はぬかしていたゞきますとあつさりかたづける。
  議員の方も承知してゐると見えてこの件については誰も質問しない。唯高橋議員が「交流関係に於てはなるべく危険を避けてやつてもらひたい」と希望意見を述べたに止つた。この日真つ先に質問に立つた松浦議員は平衡交付金減額の理由を突いたが村長の答弁にはあきたらないものがあると見え、高橋議員が「交付金の減額は大きいのであるが課税率が問題になつた事実はないか」と質問し村長答弁の後「課税標準を下げることを地方事務所あたりは非常にきらつてゐますね」と述べるやわが意を得たりとばかり「結局向うさまの云ふ通りにしなければ駄目なんだから村会なんかいらないわけだ」と云ふと隣りの高橋議員も「官僚主義だよ」と同調、すかさず松浦議員は「村会を無視してゐる、ファシズムと同じだ」となかばあきらめたやうにつぶやいてゐたまではよかつたが、「皆さんにかういふことを知つていたゞきたい」と起ち上り、一段と声を高めて交付金が今までは四割から五割まであつたのが今年は二割に下つてきた減額理由を自己独特の見解で披瀝、自分が村長に求めた交付金減額理由を自から答弁した。
 着席するや高橋議員と隣り同志で政府攻撃を話し合つてゐる。議長も二人の話し合ひが途切れた所で「何か御意見はありませんか」と問ふや高橋議員「私は別に質問はありませんね」とぶつきら棒に云ふ。松浦議員も、「まことに仕方ないですね」とつぶやく。何としても政府官僚のやることは氣に入らないといふ顔つきである。かくて開会後一時間二十分で第三次追加更正予算案は簡単に可決された。
 午後からは村長が「職員の給興に関する條例」を逐條的に読み上げて説明して行つたが各議員ともあまり興味はなさげで生あくびをかみしめて聞いてゐる。議長もしきりにあくびをくり返す。収入役も目をつぶつて瞑想。村長から呼ばれてゐるのも知らないでやつと氣がつく有様、山下議員金歯を出してウフフと笑ふ。規約が超過勤務手当と休日給の條例になると日宿直料が問題になつた。條例が日宿直を含むやうに解釈すると料金がえらい金額になるので「一人専門の宿直員を頼んだ方がいい」と云ふ者「日宿直は勤務にはならない」と云ふ者で意見はまちまち。村長は「日宿直は勤務であり全責任を負はなければならない」と強硬、一人ソロバンをバチバチと弾いて「一時間四十二円になりますね」と計算を発表するや「寝てゐる時間も勤務になるか」と声がかゝる。「役場へ來て寝て居て身上を作つちやふな」と誰か云ふ。村長も額が多くなりすぎるので「日宿直は超過勤務には違いないがこの規約を適用するかどうか疑問だ」と云ひ始める。「宿直は現在五〇円、日直は六〇円でこれをどうにかしてもらひたい」と議員に考慮を求める一方「額を上げてもらへば日宿直同じでいいやね」と収入役に同意を促す。結局、日宿直の手当は別に定めるといふ一項を挿入したが「どのくらゐの額にしていたゞけますか」と村長しきりに心配してゐる。議長はエヘヘと笑ふ。出野議員が「自分の職場へくるんだから百円ぐらゐでいいだらう」とするのに対して松浦議員は百五十円を主張したが、村長は「百円でどうですか」と提案したのでこゝに落着いた。「年末手当がこれからは公然と半ヶ月分もらへるわけである」といふ年末手当の條例を最後に給与條例は可決されたが農協理事会の為午前中欠席して午後審議途中に入つてきた金井議員一人手を挙げない。議長あまり近いので氣がつかないと見え例の調子で「満場一致を以て……」と云ひだすや松浦議員から「満場一致といふのは……」と声がかゝり、金井議員発言を求め議長は審議を継続する旨を述べる。松浦議員は上できめたんだからと又あきらめをつぶやく。金井議員は午前中に審議された予算案を見て國連協会負担金、國連傷兵慰問金について一言、「日本國憲法を重んずるため又武装放棄した國土を尊重する意味に於て絶対に不賛成で一銭でも協力することは反対であります」と怒つたやうな口調で云ふ。「それはすでに決定になつたことである」といふ議長の言でけりがつく。続いて大野、高橋、松浦、金井、根岸(寅)議員等五名の共同提案になる「全面講和協力の件」が上提された。今まで熱い熱いと云つて椅子を陽陰にずらしてゐた松浦議員も乗り出して來て提案理由の説明に立ち上つた。この日大野議員が欠席したため松浦議員が説明に立つたわけである。「この問題は実に重要な問題でありまして、何故に村会に提出したかについて申し述べたい」と前置きして松浦議員特有の弁舌を以て全面講和絶対必要論を堂々と説明した。「全面講和か、単独講和かは極めて重大なことであり、全面即平和、単独即戦争である」と大見得を切る。國会議場と違って彌次一つ飛ばず全議員緊張して耳を傾ける。「単独講和ではソ連、中國と宣戦布告したのと同じである。この少い警察軍で自衛権を発動したとてどうにもならない。結局アメリカの援助を求めねばならない。さうなれば日本は第二の朝鮮である。単独講和では何故いけないかといふと中國との貿易を失ふからでさうなれば日本の経済は成り立たなくなる。今まで中國貿易は五割を占めてゐたので中國を含めての全面講和でなければならないわけである。多くの人は全面講和は理想であると云つているがよく考へてみると全面講和こそでき易いので単独講和はできにくいのである。私は全面講和なら明日にでもできると思ふ」と吉田首相以上の大確信を説く。「アメリカ國内では日本を再軍備せよといふ世論もあるが、これは日本國民の團結の力と要求とによつてくつがへすことができる。仮に全面講和ができないとしても有利に導くことができると思ふ。皆様の御批判によつて是非とも全面講和に協力していたゞきたい」と結ぶ。これに対して直ちに出野議員は発言を求め「一々ごもつともで趣旨としては賛成であるが松浦さんの話では全面講和は平和で単独講話は戦争であるといふ話であるが、私が新聞、ラヂオでみればその反対であると考へられてきたのだが本当に松浦さんの云ふ通りなら協力する必要はないと考へる」と反対の意を表明、松浦議員はすぐさま反駁「だまつていてはできないので國民の強固なる団結によつてアメリカの世論をくつがへすのである。日本の全人民の世論によつてくつがへすのである」かくて出野議員との間に討論が闘はされたが出野議員も些か疲れたか松浦議員と話が折り合はないのであきらめたのか「松浦氏の提案に対して賛否を保留する」と結論して引き退つた。議長もこの建議案には困惑したと見えて「私は建議案として案を出したが本村として取るべき具体的措置がないならば賛否をとるといふことはできない」と暗に反対の意向を述べる。一体これを決議したところでそれがどうなるかといふことは議長のみならずすべての議員が疑問とするところであつたがこれについて松浦議員は「村会で全面講和賛成を決議したことになれば非常に力強いものになるので、永久占領されるか或は完全に自主を取り戻すかの大問題である」と説明して全面講和運動協議会のパンフレットを読みあげる。続いて高橋議員は中國貿易との必要を説き「アジアの大國でありそして隣國である中國を除外して講和を結ぶといふことは日本経済が成り立たなくなることである」と賛成の意を述べる。次に金井議員が立つて先に松浦議員と出野議員との間で問題になつた侵略といふことで独特の口調を以て見解を披瀝、「帝國主義は一國に於て資本主義が行きづまつた場合他國を生産手段によつて犠牲にすることだと思ふ。例へば日本が満州でしたことがさうである。かうした事実が日本にあり、又現在の日本がどうなつてゐるかは知つてゐる筈である。……日本にピストルを向けられてゐるといふがどこの國がしてゐるか知らない。日本人民を奴隷にし利用してゐる國のことだと思ふ。全世界の働く人民が明るい生活を築くため帝國主義戦争をなくするために団結しなければならないといふ意味に於て賛成する。」このあたり全面講和賛成派の独壇上【独壇場】でまるで選挙演説を聞いてゐるやうな氣がする。続いて松浦議員「全面講和に賛成したからとて何等損することはないと思ふ。協力することは結構なことで皆全面講和を望んでゐると思ふ」各議員とも重大な問題とみてかなかなか賛成の態度を表はしてくれないので損得問題を引つぱり出してきて何としてでもうんと返事をさせようといふつもりらしい。出野議員再び起ち上つて「損だから得だからどうかうといふのではない。全面講和は理想論であると考へてきたのだから。この小つぽけな村が村会で議決したからとて大海に香水一滴たらしたようなものだ」と村会で決定するのは無意味だといふ意向。議長もこの議案には閉口したと見えて再び松浦議員に説明を求める松浦議員の解答も前回と同様何となく漠としてゐるので議長も「村会議員が個人としてやつてもいいのではないか」と早く責任を逃れたいといふ口振り。松浦議員はあくまで村会の決議に持つて行きたい考へらしい。
 「村会の決議の方が強力なものになる」からと突つぱる。高橋議員も「全面講和を望んでゐるものと望んでゐないものが階級によつてある」と助言する。松浦議員も力を得てか「全面講和ができればソ連、中國が入つてくることは絶対にないと保証する」とスターリンや毛沢東から証言を直接聞いてきたやうな言ひ振りである。出野議員又も立ち上り「この山間の一寒村が村会で決議したところで……」と仕方がないと云はんばかり、松浦議員は直ぐさま「一粒の麦である。これが全國的に発展するのである」。然し議長も何としても困つた問題を採り上げたもんだと困惑のていで「新聞やラヂオで論議盡くされてゐるのでこの村会で決議するのは問題が大きすぎると思ふが、議案の扱ひ方に確信がもてない氣がするんですが」と弱音を吐いてきた。私は(村会議長)で(國会議長)ではありませんといふわけだらう。然し松浦議員は執拗で「多くは新聞、ラヂオで知つてゐることしか云はないのであるが細かい説明を聞けば協力しなければならないことになるんだが」とねばり自分の説明が下手でどうも……大野さんが居てくれればよかつたんですが……と賛成を得られないのが松浦議員の説明が下手だからとでも思つてゐるらしい。出野議員又立つて「村会はよろしく村政を議すべき所で國際問題を取り上げて議することは問題が大きすぎると思ふ」と終始村会で議することに反対する。松浦議員も黙つてはゐず「つまり協力しないわけですか」とあくまで強硬な態度である。長老議員加藤氏が立ち上り「米國としても止むを得ず単独講和をしてゐるので話す人聞く人によつて異なることで此処で決するといふことはどうかと思ふので保留して各議員に任せるべきである」と長い間議論を聞いてゐるのでそろそろ何とか決めてもらはなければといふところであらう。然し松浦議員は一向に止める氣はなく「ソ連、中國が全面講和にいつ反対しましたか。反対した事実をあげていたゞきたい」と詰め寄る。「新聞、ラヂオを聞いて信じてゐるだけで……」とたぢたぢする。
 提案者の一人である根岸(寅)議員も周囲の事情がはかばかしく行かないのであらうか「どちらにも理屈があるだらうと思ふので希望のある人は村会議員として個人々々が署名することにしてはどうか」と発言するや、「同感」といふ声が幾らか起つた。松浦氏もあんまりしやべつて喉が渇いたのかお茶を飲みながら「どうですか皆さん協議会に入つて平たく話さうぢやありませんか」と一人舞台で理論を闘はしたので固苦しくなつた氣分を和らげようといふつもりらしい。それに全議員とも緊張しすぎて少し疲れてきたといふ格好である。然し金井議員は発言を求め「大きい問題だといふが私としては村のことをやるのが村議会だと思ふが今日のこの問題が村と無関係のやうに聞かれたがこれこそ村に関係あることだと思ふ。今までも日本が満州に軍隊を侵入した時農村は苦しんだのである。村のことでないとして打切つてしまふのではどういふ面で村の利益を闘ふかについて疑問があると思ふ」徹底的に審議しそして賛成するのが当然だといふ見幕である。松浦議員も勢を得て「六十万の交付金が減つたことにもすでに関係があると思ふ。村予算の面にもすぐ響いてきてゐる。再軍備をすれば税金で苦しみ、子弟を兵隊にとられる。生きるか死ぬかの苦しみをしなければならない。第二の朝鮮となることは受けあひである。軍隊がなければどうにでも解決ができるのである。絶対中立の國へわざわざ踏み込んでくることは恐らくないと考へられる。兎に角生命に関はる問題だから慎重に考へてもらひたい。協力しないことはうそだと思ふ」是非とも賛成しなければならないとあくまで強硬に頑張る。根岸議員再び立つて「個人々々で協力すると思ひますのでこの辺で審議を閉ぢて次の問題に移つていたゞきたい」と議長に要求した、各議員も何となく疲れてきたので「同感」の声が又も起つたが松浦議員は「私の話が下手で……」と弁解する。議長はこれを慰めて話の上手、下手は問題ではないと思ふ。全面講和に反対する人は一人もないと思ふので個人々々でやつてもらつては……と述べたので松浦議員はすかさず「此処に出席してゐる方で全員全面講和に協力していたゞけませうか」と手廻しの早いことを云ふ。何とかしてこの場で承知してもらはうという悲壯な決意を持つてゐるらしい。然し誰も賛成に署名すると言はない。山下議員が立ち上つて、「講和の問題は非常に重大な問題であると共に世界狀勢も複雑してきたので個人々々の考へが隔つてきたと思ふ。考へることも言ふことも自由であるが、敗戦後日も長いし全面講和は到底不可能である。一日も早く占領を終結してもらふことを國会で決めるなら結構であると私は考へてゐる。単独講和で一日も早く講和してもらひたいので、今日はつきり意思表示を求められることは困る」と松浦議員の言に反対の意向を表す。
 議長も「全面講和を否決するといふこともうまくないが研究してもらふことにしては」と妥協案を出す。各議員も大体これを了承したが賛成派はなかなかねばる。高橋議員は「時の政府が新聞、ラヂオを通じて反ソ反共の宣傳をしてゐるからひつかかつてしまふのだ」と賛成を得られない責任を政府と報道機関に向ける。時に利あらず情勢我に不利なりと見てとつたか、金井議員は建議案徹回【撤回】を申し出した。松浦議員はまだ説明したいことがあるんだがと不満さうに云つたが最後に「第二の朝鮮となることを望まないからいふのである。皆さんはさういふ事態になつてから氣づくのである」
 平和への道は閉されたとでも云ひたげな絶望にも似た悲痛な一言を以てこの「全面講和協力の件」の建議案は遂に徹回【撤回】されたのであつた。
 村会史上未だ嘗て見ざる建議案ではあつたが兎に角かくの如き熱烈なる討論が真劍に闘はされ然も完全なる言論の自由が行使され懲罰動議などといふチヤチなものも出なかつたことは慶賀の至りであつたことを記して筆を置かう。
(報道委員S記)

『菅谷村報道』12号「村会傍聴の記」1951年(昭和26)4月10日
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